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 心をひとつに世界平和の祈り  このサイトは、全託道場に併設した別院サイト☆過去ログ道場です。
 旧・唯一会HPに併設されたPEACE NIFON掲示板に投稿された「世界平和の祈り唯一行」に対する賛成意見を抜粋・掲載します。
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過去ログ道場トップ 森島恒吉先生☆過去ログ集[総目次] 「世界平和の祈り唯一行」への賛成意見
 五井先生の光明思想の具体的な実践法とは「世界平和の祈り」を祈ることであり、「世界平和の祈り」以外に光明思想の行法は不要であり、「世界平和の祈り」が神の子の本体を顕現する最も効果的な方法であるのです。
(森島恒吉先生の法話より)
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飾りアイコン森島恒吉先生の過去ログ集成

世界平和の祈り唯一行への賛成意見




『世界平和の祈り』を祈りましょう
No.12 エレナ    1998/08/31 (月) 21:24 大阪府  
世界人類が平和でありますように
森島先生 こんばんわ! 大変ご無沙汰してしまいました。お元気のご様子で何よりです。
この度は、私達のために電子掲示板を開設していただきましてありがとうございます。
タイトルや可愛い女の子のイラストも入れていただき本当にステキですネ。

さて、日本列島はいまや各地で風水害で被害続出しております。今年の天候は本当にどうなっているの でしょうか!? 世界各地もグローバルにこの様な被害が起こっているように思うのですが?
そして、また政治経済においても、・・・何かにつけて世界はグローバル化してきているようです。

ところで当地は風水害にはあいませんでしたが、連日厳しい暑さで何も手につかずで、
五井先生のご著書ばかり読ませていただいておりました。
少しづつですが、五井先生のご意志が伝わってくる様でした。

世界の人々が不幸少なく、被害少なくなる神愛の真の祈りが『世界平和の祈り』なのですね。
『世界平和の祈り』をお祈りさせていただいていれば、そのまま神様の生命が波動となって、自分を含め世界の人々の生命にひびいていく祈りなのですね。

これからも自他一体感のある『世界平和の祈り』を一生懸命日々欠かさず祈ってまいります。
そして『世界平和の祈り』こそ、世界各地へとグローバル化していきたいものです。
どうぞ今後ともよろしくご教示いただきます様にお願いいたします。

本当にこの度は??電子掲示板開設?≠ィめでとうございます エレナ より


うれしいです
No.37 T.F.    1998/09/26 (土) 11:52 茨城
はじめましてこんにちは
このようなHPを作っていただいてうれしいです。(感謝)

私も会員ですが、最近おちこぼれてしまったなと感じていたところです。
なぜなら、昌美先生のみ教えについていけないからです。
そこで、このようなHPに出会えて大変うれしいです。
森島さんには感謝です。

小坂先生(ご存じですか?)に,昔お聞きしたところでは、これからの時代は,救われる人とそうでない人とが厳選されるとのことでした。
そこで、私は後者に入ってしまいそうで,どうしようかともがいていたところでした。
森島先生のHPをみて、力がわいてきました。
ありがとうございます。
(森島先生は,たぶんそのようなつもりはないのでしょうが..)

世界人類が平和でありますように


『世界平和の祈り』を祈りましょう
No.44 エレナ    1998/09/30 (水) 18:41 大阪府  
世界人類が平和でありますように

森島先生 こんばんわ!
いつもご教示いただき、ありがとうございます。
今日はご近所の方とパソコンスクールに来ています。そして先生のコメントをお見せしています。
先生のみ教えはよく理解できるそうです。 この方は以前は一生懸命??印?≠?組まれたり、ご神示による 白光の本部から出される??行?≠ウれていましたが、今は『世界平和の祈り』を唯一に祈られています。
最近は大変ご夫婦共に穏やかな生活ですとおっしゃっておられます。
では、そろそろ時間制限がきましたのでこの辺で終わらせていただきます。
また、どうぞよろしくご教示の程お願い致します。
ありがとうございました。 エレナより


始めまして!
No.56 Osamu    1998/10/09 (金) 01:51  
世界人類が平和でありますように

今月の白光にワールドプジャのアドレスが載ってたので白光のホームページが無いかな?
と思って検索してたらここにたどり着きました。
始めまして、OSAMUといいます。このような個人の意見がダイレクトに反映されるホームページができてうれしく思います。森島先生有り難うございます。

アンドレギャニオン、あれいいですよねー、私も始めて聞いていいなとおもったのが(めぐり逢い)でした。近くの喫茶店で聞きました。テレビのドラマは見ませんでしたが。
音楽の趣味とゆう大層なものでもないのですが他に好きなのがENYAと永ちゃんです。
あと音で好きなのがバグパイプ・・・結構、変わってるでしょう。(笑)

さて、このHPを白光20年目の母に見せたら(心のもやもやが取れた!)と言っておりました、
いろいろな(行)が増えていく中で、自分でできることと、できないことが出てきてその狭間で
迷ってたんだ、と思います。私はといえば、このまま行が増えていって、だんだんおっくうになってしまったらどうしようとゆう気持ちは無くて、(増えていっても世界平和の祈りだけやっとけば大丈夫だ)と心のどこかにありました。(ただの怠けかもしれませんが)
それが、このHPを見て確信に近づこうとしています。

これからもいろいろお聞きしていきたいとおもいますので森島先生、皆さんよろしくお願いします。
皆さんの天命がまっとうされますように


ありがとうございました
No.163 R子    1999/02/11 (木) 00:09    
ご丁寧にお返事下さって、ありがとうございます。
私は今まで、自分を守ってくれている、守護霊様、守護神様、五井先生がいて、この世以外の所があるというだけで、十分満たされて過ごしてきました。ですから、あまり熱心でないといえるのかもしれませんが、昌美先生がいつも、「五井先生がいらっしゃって喜んでおられる」とかおっしゃるので、「すべては五井先生の意志を、昌美先生が皆に伝えているのだ」と単純に思っていました。
今の私には、どこがどう違っている、とまではわからないのですが、これまで通り、祈りながら日々の生活を大事にして行きたい、と思います。本当にご丁寧にありがとうございました。


私見
No.167 晶    1999/02/14 (日) 01:22 和光市
世界人類が平和でありますように

世界平和の祈りはすばらしい教えです。
そこにはキリストの愛と許しが、仏教の諸行無常(消えゆく姿)、諸法無我(業想念は本心ではない)があり、守護の神霊の加護があり、宗教の要点が易しく説かれています。

この教えに行き着いたものは他に心移りすべきではないし、新しく宗教心に目覚めた人は、業想念の中でうまく生きてゆく方法などという枝葉末節の教えが多い今日の新興宗教と比べてそのすばらしさを知るべきです。

しかし、過去世からの因縁で他の行法を行っている人がいきなり世界平和の祈り一本に生活を変えると一時的に心境に混乱をきたす場合があります。それはある本尊なり、真言なりに意識を集中して他の業想念を否定する行法をしていた人、自分に起こる出来事を他人事のように観照して執着をなくす行法をしていた人などです。

このような人は意志の力で、あるいは意志力を直接使わなくても自分の注意力で業想念を超える癖がついているため祈り言だけは世界平和の祈りをしていても全託ができず、つい自分の意志力を使おうとしてしまうためです。

自分の今までしていた行法の限界を知り、または自分の能力ではその行法を納めることができないと諦めきって世界平和の祈りに入ってくれば問題ありませんが、そうではなく、何となく両方やってみようとか今までの行法と同じ方法で世界平和の祈りもやってみようとすると、その人には破壊的な状況になります。

それは世界平和の祈りの欠点ではなく、その人の心の持ち方の問題です。世界平和の祈りの良さもわかるが今までの行法を捨てきれないという人は、壁にぶつかるまでその行法をとことん突き詰めてはっきり捨てきる決意ができるまで世界平和の祈りをすべきではないと思います。

宗教は趣味にはなり得ません。
それはこの肉体はもちろん幽体、霊体までに影響する深い手術です。
行法によっては全く反対の作用を予定しているのがあり(クリシュナムルティの全てを疑うというもの(行法と言って良いかは問題ありますが)と、感謝行のように分かり易いものだけなら良いのですが)、そのような行法を混ぜて行うと時間の浪費なだけでなく、危険な場合もあります。

もちろん最終的には全ての行法に対するとらわれさえ解き放って往くわけですが、上のような意味においては各宗派共通の目標には違いありませんが、各宗派共通の行法にはなりにくいと思います。

ただ、現代において行いにくい行法を行う人はだんだん少なくなり、時代にあった行法が残ってゆく可能性はあるでしょう。


唯一会は素晴らしい、と思います。
No.260 TO    1999/04/14 (水) 12:04 東京都上野  
今日、たまたま宗教を検索したら、唯一会のことを見たので、つい、メールしてしまった22歳の学生です。上野に住んでます。お忙しいところすいません。最近考えていたことと重なりましたので、連絡します。先日、北九州の門司で、浄土宗のお坊様に、お付き合いさせていただきました。
そこで、その方が「守護霊が見える」と言うことで、実際にそのように考えています。
そして唯一会を見ると、「神様に感謝」「守護霊様に感謝」ということで、すーと心に入ってきました。
そして、五井先生の考えと森島先生の考えが、現実に即した宗教と存じ、素晴らしい、と思いました。
現代の世の中、大変だと思いますが、頑張ってください。   
世界人類が幸せでありますように
守護霊様に感謝


宗教継承の難しさ
No.270 ツボちゃん    1999/04/21 (水) 12:14 つくば市  
森島 先生

今回の五井先生と昌美先生の師弟間での教えの継承について、教えの伝達の難しさを感じました。
過去の殆どの宗教が、この問題を抱えたまま今日に至っていると思われますので、解釈側がしっかりしていないと、真実は伝わりにくいと思います。
「May Peace Prevail on Earth.」のように、間違いの無いキーワードで、伝承する事が大切だと思います。教えを賜る方としては、昌美先生の例で言えば、キリストや釈迦ではないのですから、完璧を期待する事は無理な事で、世界や自分にとって良い事を実行する他に、方法は無いと思います。
小生も若い時に10年間PLを信仰して、先生を怒鳴りつけて辞めた経緯がありますが、その時の「人生は芸術である」事と御教えは、今でも、中医学の勉強やら、人生に生かされています。
今日はこれで失礼します。

世界人類が平和でありますように!


一読、溜飲を下げました!
No.271 ケント    1999/04/23 (金) 01:53    
森島恒吉 様

はじめまして!白光維持会員10年(以上)選手のケント(ハンドル名)と申します。
貴HPをたまたま見つけて、一読、溜飲を下げました。私は、ここ数年来、昌美先生の言っていることは極力いい加減に聞くようにして来ました。

私は、五井先生の遺徳に頼りつづけきたように思います。昌美先生については、ご本人には失礼ですが、言っていることは、あまりまじめに聞かないようにしてます。多分、社会常識の十分にある男性ならば、みんなそうするんじゃないでしょうか。ただ、五井先生が認めた方なので、批判がましいことを会の方に言ったことはありませんが、、、。

今回、森島様の「宗教問答」を拝見しまして、「これはすごい」と思いました。私も今まで、五井先生を信じてはいても、昌美先生にはついていけなくて、会を止めた人には会ってきました。私は、彼らの主張がよく理解できます。私など昔のテープを聞くときには、五井先生が語っておられるところだけを抽出して聞き、昌美先生の法話が始まると、イライラするのですぐ切るほどですから、、、。

今年に入ってから、会の講師などから、「この一二年が勝負だ」とかあれこれ言われるので、富士の行事には、結構参加しています。しかし、考えてみると、そういうふうに煽っているのかも知れません。

最近、「宇宙神マンダラを書く行」というのが、始まりそうですよね。もう講師は始めているようです。
前々会の富士特別行事において、昌美先生が、「皆さんもマンダラを書く行をしたいですか?」と聞かれた際に、おばさん連中筆頭に、喜び勇んで手を挙げる信奉者の中に混じって、私はいやいや手を挙げました。まぁ、かなり抑圧が溜まっています、私も、、、。

「我即神成」の印も、さんざんやって来ましたが、おっしゃるように神なる姿と、現実の自分の姿(オンナが欲しいバツイチのたった一人のあえいでいる欲望を抱えたオトコである私)とのギャップに苦しんできました。実際、神という言葉の定義を変えなければ、素直に出来ないじゃないでしょうか?
よって、森島様のご説明は、当たり前すぎることに、思えました。

昌美先生が、「もう皆さんは、苦しみにより学ぶ時代を卒業した。」と言いました。しかし、高橋副理事長はガンだそうです。私のひとつの疑問として、結構、会の中でガンとか難病の方が多いように思うのですが、これは何故なんでしょうか?ぜひ、森島様のご意見を拝聴したいと思います。

また、去年でしたか、昌美先生が、「皆様方の業は完全に全部消した」などと言ったことがありました。
事実そうなら、数値で示して欲しいものです。昌美先生の場合、この種の大言壮語が実に多いのですが、もし、今まで富士の行事にて言われつづけた来たことが、全部ほんとうであれば、私なんか今ごろ大聖者じゃないか、と思います。しかし、現実の自分はそうでないわけです。

90年代前半の富士行事で、私の前に座っていた男性が、焼身自殺したんですよ。まぁ、これについては、納得はしていますが、、、。(その方の天命がまっとうされますように。)

今までは、あまり思いつめずに許せてきましたが、会員側が詰め寄ったときに昌美先生が、「それは皆様の信じ方が足りない」と、こちら側への責任転嫁をやるとしたら、かなり問題ではないでしょうか?
実際、これほど会でも、ガンとか病気の人が多いのを見ると、「もう五井先生在世時のような救済力が、会には、ないんじゃないかな」と思うことがあります。ぜひ、森島様のご意見を拝聴したいと思います。

富士の行事では、毎回、願望を言わされますが、叶ったことなど一度もありません。前回の行事では、ついに、最前列に座っていた男性が、昌美先生に「本当ですか?」と言いましたよね。思うに、奇跡なんか何も要らないんでよ。欲しいものがあれば、この世的に正当な方法で努力して得ればいいわけですから。
ですから、私はかえって、昌美先生の行事に出て、「奇跡があった」と浮かれている人を見ると、「まゆつばだ」と思います。

「願望を言わせるのは、それは願望が実現するなんてことじゃなくて、そういった願望の想いを消すために言わせているんだよ」と言っていた古い会員の方がいましたけど、どうなんでしょうか?

以上、いろいろと普段から溜まっていることを書いてしまいました。不快にさせてしまったら、お許し下さい。ご返答頂ければ、たいへん感謝します。


言葉に言い表せないほど、素晴らしい!
No.276 ケント    1999/04/23 (金) 23:51    
森島 様

早速のご返答ありがとうございます。緑が美しい季節になりました。私は東京都多摩市在住なんですが、緑が多く、今まで気付かなかったのですが、木々が地球とつながって、生命エネルギーを発している姿にハッと気付きました。心が安らぎました。

>私自身も、白光真宏会の維持会員であり、ソサエティの会員でもあります。
>そして、唯一会から毎年、ソサエティに対して、わずかですが寄付もしております。
>それは、昌美先生はじめ白光真宏会の幹部に対して、正々堂々と発言できる
>発言権を確保しておくためなのです。

それは言葉に言い表せないほど、「すばらしいことだ」と思います。まったく同意見です。実は、私も昨日、まったく同じようなことを考えて、「これこそ大人のやり方だ」というふうに気付きました。

何故なら、五井先生の教えの原点に帰るには、そのご著書を全読破すればよいのですが、私は昌美先生自身そういった形のことはやっておられないと思います。それはそれで天命上仕方のないことだと思いますが、釈尊の場合は、直説の経典と、滅後にナーガルージュナーなどの別の聖者が、表された経典との学問上の判別が難しかった時代もあったようですが、幸いなことに、五井先生の場合、膨大な現代語で表されたご著書があるわけですから、直説に戻るのも容易であり、またその直説であることも、誰の目からも明らかに判断出来ると思います。ご著書の何ページに書いてあるよ、と言えばいいわけですから、、、ここに五井先生直説と昌美先生の教えとの区別がはっきりできるわけです。

>会員でなければ、「会員でないくせに、よけいなお世話だ」と言われて、無視されて、
>批判の声に耳を傾けることすらしません。会員であれば、白光真宏会としては、全く
>無視することはできません。古い会員ばかりが、百人も集まって「世界平和の祈リ」を
>共に祈り、五井先生の教えを守っていることが、だんだんと世間に知れ渡ってゆけば、
>会としては無視しようとしても、世間の目がありますから、無視できなくなるのです。
>短気で幼稚なやり方では、だめです。これが本当のオトナのやり方であると思います。

まったく、おっしゃるとおりです。以前に、昌美先生の法話に、「クリシュナムルティーの著書」から、そのままパクった箇所があったのを見つけて、会に怒鳴り込んだ、五井先生時代の会員さんがおりましたが、その時、会側で対応されたのは長安先生でしたが、まったく公にはなっておりません。ただ、昌美先生が、そのことを小さな講演にて言及され、「まったく分かっていない。」と言われたそうですが、、、
この件については、完全な著作権違反であり、非常に見逃せない事実です。他人の著作を引用する場合には、あくまで引用として、出典を記載することが、著作権に抵触しない方法ですから、、、

>私は「世界平和の祈り」を唯一の祈りとする大平和運動を、展開してゆくつもりです。
>「世界平和の祈り」を広めるために、ぜひ、ご協力のほどを、お願い致します。

協力します。以上。


願望を念じることは、五井先生のみ教えに反することではありませんか?
No.278 ケント    1999/04/24 (土) 00:55    
森島 様

毎々、恐れ入りますが、下記の点につきましても、私からの素朴な疑問として、森島様のご見解を天下に知らしめて頂きとう存じます。ご回答をお願い致します。

五井先生著書の中の「祈りと念力」において、下記のような記述があります。

富士行事において、毎回、宇宙神からの光を受け取るときに、「願望を言うように」言われます。その際、「既に、そのことが起きたことをイメージせよ」とか言われますが、下記の五井先生のみ教えに反しているのではないでしょうか?

また、今まで、そういう形で、何度も願望を言わされて来ましたが、一度も叶ったことがありません。
よって、叶いもしない願望を言わされて、恩に着せられ(まぁ昌美先生の側ではそういう意識はないでしょうが)、結局、何も変わらなくて、最後には「あなたが心から自分で信じなかったから起きなかったのよ」とやられるわけです。私は、既に、この一連のしくみが分かっておりますので、「願望を言え」と言われると、心の中で「誰が言うか!」と言います。

【五井先生著書「祈りと念力」より引用 <祈りと念力は別のもの>】

私は、昔から「念力の恐怖」ということを説いていますが、宗教をやっている人でも、祈りと念力を混同して考えている人が多いのでありますし、教団側の話や出版物にも、祈りを念力と同じように説いているところも、かなりあるのです。

例えば、必要な時にお金が入ったり、家が出来たりするのには、どうしたらよいか、という答えの中で、「もし百万円ほしいなら、もうすでに百万円さずかったと思って、百万円さずかってありがとうございますと、常に思いなさい。そうすれば念の力で百万円集まってくる」といったり、家がほしいなら、自分の必要とする家の図面を書いて、「もうすでにこの家が自分にさずかっているのだ」と強く思いなさい、そうすれば心の力で家がさずかる、というように、念力を強めて、念力によって、自己の欲するものを得るという方法を教えているのです。

そしてこの方法が、あたかも、神への信仰であり、祈りでもあるような思い違いをさせてしまうのであります。これは、とんでもないことなのです。念力はあくまで、肉体人間自身の自我でありまして、神への信仰でも、神の援助でもありません。

そういう方法によって、自己の望みが叶ったとしても、それは信仰の勝利ではなく、我を通しただけでありまして、その場は得をしたように思いますが、一生の間に得ることになっていた富を、一時の念力によって前借りしたようなもので、後になってその分だけ、運命の中で返済しなければならなくなります。
そんな方法で富を得ることは、宗教の道でも何でもなく、唯物論式の在り方に他なりません。

以上


今、初めて、私は五井先生を知りました!
No.282 ケント    1999/04/24 (土) 03:28    
森島 様

勤務時間中、こっそりと、過去の掲示板“PEACE NIFON”を全部、拝読しました。今まで、白光関係者の中で、私もずいぶんとイカレポンチに会ってきました。まぁ、でも私も、おおむねイカレポンチでした。

若くて純粋な、白光の会員の方には、耳に毒かも知れませんが、女性をレイプした会の講師もいました。また、先日も書きましたが、知人で富士の大行事に出たのに、焼身自殺をした人もおりました。(これは新聞に載りました。知っている人は知っているかも知れません。)この程度のことはたいしたことがないのでしょうか?

身近にこういったことがあっても、維持会員をやり続けている私って一体どうなっているんでしょうか?
エライのでしょうか?バカなんでしょうか?ただ、五井先生の詩の中に、昌美先生のことを「天(アメ)の遣い姫」として、詠っている詩があるでしょう。あれを頼りに、疑問が起こるたびに、目をつぶって来ました。五井先生が後継者として認めた方なのだからと、、、

でも、今度ばかりは、そうはいきません。何故なら、森島さんを知ったから、私は、森島さんの道を行きます。森島さんを通して、私も五井先生の直説をやりたいです。直説を!これは宣言です。

しかし、これほど本心で真実を知っていながらも、まじめに維持会員をやり、昌美先生の指導法を、やり続けてきた自分の忍耐強さに、正直恐れ入りました。やっぱり、私って、けっこうエライのかも知れません。変な意味で、自分に自信が付きましたよ。ありがとう、昌美先生!

今後は、森島さんのグループで、富士の大行事に出る時に、デンと最前列に構えて、印など一切やらずに世界平和の祈りをやろうではありませんか!

白光関係者の中で、「私もずいぶんとイカレポンチに会ってきた」と書きましたが、心の優しい私は、 「悪いのはイカレポンチの方ではなく、私の方だ」と常に自分を責めて来ました。そして、自分を「白光の落ちこぼれだ」と思ってきました。何故って、白光誌には、この世的に成功している人のことや、いいことが書いてあるじゃありませんか?

もう、はっきり言います。私は、白光10年以上選手ですが、今はじめて、森島様をとおして、五井先生を知ったように思います。ありがとうございます、森島様。世界人類が平和でありますように!これは、謙虚でもなんでもなく、ただの事実です。

また、今まで、白光を10年以上やっていながらも、私の心が未熟であったために、ずいぶんと人を傷つけてきました。この場を借りて、お詫びいたします。お母さん、ごめんなさい。アっちぁん(会社同僚)、ごめんなさい。チーちゃん(前妻)、ごめんなさい。

もっと早く、森島さんに出会えてたらなぁ、、、要は、白光の会に入ったことが、本当に五井先生につながったことになってなかったんですよ。今まで、10数年、昌美先生の指導でやって来て、まったく幸せになっていない原因がはっきり分かりました。これからは、遅まきながら幸せになりたいので、森島先生に入門させて下さい。

今日は、、過去の掲示板“PEACE NIFON”を全部、拝読したおかげで、駅からマンションまで帰る道すがら、大きな「世界人類が平和でありますように!」をズドンと感じました。ズドンと!

まだ、森島さんを知って二日目ですが、森島さんが五井先生に許されたように、いろいろ読ませて頂いただけで、私もずいぶん許され、肩の荷が降ろせました。今まで、心の中で、モヤモヤと、会や昌美先生に対して考えていたこと、、、それを吐露しましたが、それをすべて「あなたが正しい!」と言い切ってくださいました。驚きですね。私は、「私が間違っていて、私がボンクラだから、幸せになれないんだ」と思っていたのに、、、

さて、次なる質問なんですが、
1) 富士聖地は、この地球上でもっとも神界に近い3.75次元の場所だそうなんですが、事実でしょうか?
2) 毎回、富士聖地にて、昌美先生が降ろされる宇宙神から届く光ですが、私はまったく何も感じませんが、この光は本当に宇宙神から来ているのでしょうか?
3) 瀬木理事長は、五井先生と同じく、地球世界の業の浄めのため、ご病気で苦しまれて逝去されたとのことですが、私は、五井先生と同じような形(つまり我が身に受ける形)で地球世界の業の浄めができる人はいない、と思うのですが、いかがでしょうか?

ご見解を拝聴したく存じます。

以上


救われました!
No.286 ケント    1999/04/24 (土) 14:20    
森島 様

言いにくいことをはっきりと言って頂き、非常に感謝しています。

>>五井先生とあなたは、これで本当につながりました。おめでとうございます。あなたの正直さと、素直さ
>>が、他の会員の人たちよりもずっと早く、五井先生を知り、五井先生につながる機縁となったのです。

これで救われました。森島様、ありがとうございます。 (心の中で、深く感謝!)

今後、ぜひ、多方面に渡り、ご指導を受けたく存じます。何とぞ、よろしくお願いします。

ここまで、書いてたら、知り合いの白光のおばさんから電話がかかってきました。実は、私もピラミッド神事に申し込んでいたのです。それが、来週の火曜日なんです。いろいろお話をお聞きして、ピラミッドに対する期待感は消失しましたが、一応、行ってきます。これを最後に、そう富士聖地に頻繁に行くことはなくなると思います。

たいへん失礼ですが、森島様のご年齢は、50才くらいでしょうか?ありがたいです。今後、20 - 30年かけて五井先生のみ教えを吸収していきたいです。

>>ご友人の天命の完うを祈る祈り方は、「○○さんの天命が完うされますように」と祈るのが基本です。

私は、人の天命の完うを祈るときの祈り言葉として、下記を習ったのですが、これで良いか否かをお答え願います。

世界人類が平和でありますように
May peace prevail on earth
○○様の天命が完うされますように
守護霊様 守護神様
五井先生 ありがとうございます。

>>「宇宙神から光が降ろされる」と昌美先生は説いていますが、それも嘘です。屋外ですから、
>>太陽の光が下りてくるのは本当ですが。これも、会員さんたちを、富士聖地に引きつけるため
>>の策略にすぎないのです。

毎回、雨にぬれて水浸しになるか、日に焼けて皮膚の弱い私はまっかっかになってましたので、これを聞き、またまた大きく救われました。もう行かないようにします。

五井先生に「一生懸命やれば、神界の一番上には、何百年くらいたったら行けますか?」と質問されたのは、森島さんだったんですか?私もそのテープ持っています。

昔は、泥棒が聖ヶ丘に入っただけで、泥棒が罪を犯さず退散し、また泥棒自身の殺人しなくちゃいけないような悪い運命も大きく清められて殺人を犯さなくても済んだ、と聞いていますが、今の会には、もうそれだけの救済力がないのでしょうね?残念ですが、、、熱心にやっても方向性が誤ってれば無駄な努力ですから、よって、皆さん、絶対、確実なのは五井先生直説(ジキセツ)の教えだと私は思います。

以上


“PEACE NIFON”を知って、本当によかったです
No.304 Osamu    1999/05/01 (土) 00:56 宮崎市  
世界人類が平和でありますように

唯一会に喜んで入会させていただきます。
森島先生のPEACE NIHONを知って、本当によかったです。母ともども喜んでおります。
母も、五井先生の御著書と森島先生のPEACE NIHONを読み「消えてゆく姿で世界平和の祈りだけを祈っていきます」と御写真に向かって誓ったそうです。ありがたいことだとおもいます。

森島先生の文体を読んでいると、どこかしら五井先生の御著書を読んでるような感じがしてきて、とてもいい気持ちになります、昌美先生の書かれていることや、おっしゃっていることは、初めから真剣に考えたことはありませんでした、感性的生理的に、私が受け付けないような感じがしてました。
しかし、五井先生と森島先生のおっしゃっていることは、すぐ分かるんです、スーと入ってくるんです。
すぐ、止まってしまうぼろパソコンですが、初めて良い仕事してくれました。

宮崎に住んでますので、オフ会もなかなか行けないかもしれませんが、インターネットがリアルタイムでできるので、課題などは、これで通信教育してもらえれば助かります。
唯一会のメンバーとして、身の引き締まる思いであります、末席でも汚さないよう気を引き締めて五井先生の御教えに邁進してゆきます。

森島先生につながって嬉しい毎日です。PEACE NIHONが毎日楽しみです。


森島先生は全て正しい
No.291 Ubuchann    1999/04/26 (月) 02:26 神奈川
 はじめまして。年末よりインターネットを初めて直ぐにこのページを見つけました。以来、毎日拝読させていただきましたが、今日は思い切って書き込みさせていただきます。
 
 私は五井先生がお亡くなりになる5年前に白光につながらせていただきました。10年ほどはかなり熱心だったのですが、その後約10年ほどで会とは没交渉になりました。理由は一言、‘昌美先生が大嫌いだから’です(^^;) 「そんなに嫌いならばやめてしまえばいい」と思いながらも、でもそこが宗教(一般)の恐ろしさで、中々踏ん切りがつかず、「我即神也」の印の伝授の時まで引き延ばしてしまいました。そのため、信仰を捨てる(会費を払っていないだけで維持会員をやめたわけではないのですが、こう表現した方が適切な状態)ような結果となってしまったわけです。でも不思議なもので、未だに未熟なダメダメ人間ですが、信仰に熱心だった頃よりは今の方が身も心も遙かに楽になりました。

 私も20代の頃より色々と勉強はしてきました。知識だけなら多少はあるつもりです。ですから言えるのですが、森島先生のおっしゃることは1から10まで全て正しい。そして、願望実現法などを説かれるようになった昌美先生のおっしゃることは全て間違っていると言わざるを得ません。御利益を求めることをあれほど嫌っていた昌美先生が願望を言わせるなんて一体どうしてしまったというのでしょう。失礼ながら、昌美先生は宗教信仰というものが本来どういうものなのか本当には分かっていなかったのでしょう。
 私は、白光真宏会もまともな組織としては30年ぐらいは保つだろうが、それ以後はカルト化するのではなかろうかと数年前より思ってきたのですが、早くもその兆候が現われてきたのでしょうか。杞憂になってほしい予測だったのですが、ケントさんとのやりとりを読んでそう感じました。悲しいことです。
 
 >ケントさん。私は白光の人に道で会っても、面倒くさいので、やめた理由を‘昌美先生が嫌いだから’で済ませてしまいます。するとみんな納得されます。また、私の白光時代の友人は、講師の人に自分は昌美先生が嫌いだと言ったら、「そんなの当たり前だよ。みんな嫌いだよ」って言われたそうです。もちろんその方たちは皆さん五井先生時代の人ですが、こういう人が残っているうちは大丈夫だと思います。今はどうなのでしょうか。違っていたらちょっとヤバイかなと思ったので上記の書き込みをしたわけです。

 >森島先生。ずいぶんえらそーなことを書いてしまいました。人には7倍の批評能力があるそうなので、実際は7分の1以下の人間の言うことと思ってどうかお許し下さい。以前のような篤い信仰心のなくなってしまった私ですが、こんな私でもお仲間に加えて下さるでしょうか。(なお不適切な部分があれば削除して下さって構いません。)
 今後もよろしくお願いします。


弥陀の光明
No.318 ケント    1999/05/04 (火) 10:26    
>>ケントさんの「あ〜言われたら、こ〜言う」というシミュレーションは、おもしろいね。ハハハ。

ありがとうございます。(^_^)

>>「マンダラも書かない、印も組まないのでは、神人になるのは遅れてしまうわよ」と言っている人たち
>>は 五井平和財団(以下、略して財団という)についてどう思っているのか、聞きたいところですね。
>>財団では、「世界人類が平和でありますように」だけを祈っていて、守護の神霊への感謝も五井先生
>>への感謝も省略されています。

多分、おばさん(の集合意識)曰く、「だから、財団は一般に広く世界平和の祈りを祈らせるためのものなのよ〜、その中で、中心になる2万人の神人が昌美先生からの光を直接受けて、ピラミッド型に光を下にいる人たちに放射していくことになるのよ〜。まぁ、財団はその受け皿作りね。」てな感じのことを言うのではないかと思われます。

>>すると、財団の関係者ならびにメンバーの人たちは、神人にはなれないのでしょうかね。もし、財団の
>>メンバーに「世界平和の祈りだけでは、神人にはなれないのよ。我即神也の印を組まないと、神人に
>>はなれないわよ」と言ったら、それは脅迫に近い強要となって、「やはり、財団は、白光真宏会へ入会
>>させる窓口として利用しているのか」と文部省に思われて、財団は認可を取り消されてしまうことになり
>>ます。

財団のみをやっている方々に、優越感丸出しの顔して、嬉々として見せびらかすように印を結んでいるおばはんの顔が浮かびますが、、、お〜、まさに、光輝いている(イヤミか?ケント君)。「私たちは、大学院生。あなたたちは、まぁ中高生くらいかしら、オホホホホホホ!」とでも、言いながら、、、

自分が光りだと宣言して光っているのと、あたかも妙光人のように光っているのと違いますよね。まぁ、私は美人美人美人美人美人美人美人美人美人。」と宣言しまくって美人になれるのならいいですが、世の中そんなに甘くはないわけで、、、美人かどうかは、あくまで他人が評価してくれるものですからね。
「我即金持ち、我即富也」と乞食が宣言している惨めさを感じてしまったのは、私だけでしょうか?(これゃ、私のことです。)

私は、森島先生と知り合ってから、「世界平和の祈り」は、私のような悩み多き罪悪尽重の凡夫を救うために弥陀が降ろされたクモの糸のように感じています。(あ〜貴い!感謝!)

救われるのは、あくまで心が救われるのであって、棚からぼたもちはないのであります。

>>の祈り」だけを祈る生き方を、白光としても認めざるを得ません。つまり,財団ができたことによっ
>>て、私たちも活動がしやすくなった、ということです。

ありがたいことですね。

以上

PS 上記のうち、「妙光人」と「罪悪尽重」の漢字が正しいかどうか、自信ないんです。間違っていたら、どなたか添削してください。
(編集注) 正しくは「妙好人」(みょうこうにん) 「罪悪深重」(ざいあくじんじゅう)です

世界人類が平和でありますように


私の場合は、タンカーでした
No.320 ケント    1999/05/04 (火) 12:46    
世界人類が平和でありますように

森島先生、ご解説ありがとうございました。やはり、私は漢字間違ってましたね。(あ〜恥ずかしい。ちゃんと調べてから書けば良かった。)

>>五井先生の教えについて、楽しく語り合い、一緒に「世界平和の祈り」を祈る時の喜びは、それは
>>それは素晴らしい喜びです。魂も守護霊さん五井先生も、大喜びするんです。背後にいる守護の
>>神霊の方々の喜びが、ひたひたと肉体まで伝わってくるんです。

あ〜、ありがたいです。

>>クモの糸みたいに、五井先生は、皆さんを救うエレベーターを用意されているんですね。その
>>「世界平>>和の祈り」のエレベーターボックスに乗ればいいんです。案内レディの言うままに、
>>おとなしく乗っていれば、いつの間にか神界に到着してしまうのに、途中で信じられなくなって、
>>ボックスの中でドタバ>>タ暴れてボックスを止めちゃったり、途中の階で勝手に降りてしまう。
>>そして、他の下り行きのエレベーターに乗り換えて、下がって行ってしまうんです。それじゃあ、
>>もったいないですよね。

あ〜、またシンクロニシティでした。実は、私、今駅前まで買い物とマクドナルドに行ってきたのですが、帰りにテクテク歩きながら、先生の比喩と同じような発想をしてました。(ひょっとして、書き込まれた時間に私がその発想をもったとしたらまさにシンクロニシティですね。)私の場合は、絶対沈没しないタンカーに既に乗っていた、という考えが浮かんだんです。(最初に世界平和の祈りを祈り始めた時点で乗船してたんです)。ところが、そのまま安心して乗ってりゃいいのに、何か不安になって、タンカーの上に、鉄筋コンクリートの重量建造物をたいへんな労力と金を使ってどんどん建て始めたんですよ。それで、疲れてもうヘトヘトなんです。工事中に事故があり犠牲者も出ました。それりゃ、疲れますよね。
もうちょっとで、過積載で沈むところでした。これ、この前までの私の状態です。(一体、そんな指示だしたん誰や〜!うちの母親にいろいろ説明していたら、「それやったら、昌美先生の責任重大やなぁ〜。」と言ってました。)信じた私が悪かったぁ〜。

あ〜、ありがたいですぅ〜。

以上


世界平和の祈り以外はすべて雑行です
No.322 うぶちゃん    1999/05/04 (火) 19:19 神奈川
★「世界平和の祈り」以外は全て“雑行”なのですね。そのことがよく分かりました(^o^)

 さて、大好きな妙好人のことが出ていたので書き込ませていただきます。

 私はここ数年、五井先生の本も『神と人間』以外全く読み通せなくなっていたのですが、『生きている念仏』だけは別でした。私は浄土真宗に余程親近感を持っているようです。お母様が真宗の熱心な信徒だったこともあるのかも知れませんが、五井先生のみ教えは親鸞上人の教え(特に晩年の自然法爾章。過去ログに森島先生の引用が載ってました)と全く一つと言っていいほど近いものがありますよね。
 五井先生の教えは、その人の宗教縁によって神道的に見えたりキリスト教的なものを感じさせたりするのでしょうが、それも全て深い宗教性によって貫かれているからでしょう。

 もちろん「そんなんじゃ今の地球世界にはもう間に合わないんだよ」と言う人もいるでしょうが、そのためにこそ生まれた現代の祈りが「世界平和の祈り」なのですものね。うまくは表現できないのですが、その辺がよく分かっていないと、ほんものの光明思想とただの積極思想との違いが分からなくなってしまうのだろうと思います。
 五井先生の教えには、親鸞由来の「(肉体)人間は罪悪尽重の凡夫」(これを自覚するのが極めて難かしいのです)の教えが繰り返し説かれています。そこが抜け落ちているのが真理偏重光明思想ではないでしょうか。だから、守護霊様にお任せするという視点が抜け落ちて、真理をわめき立てる白光おばさん(笑)が輩出してしまったのでしょうね。(「人間神の子〔本来は〕」と「人間罪の子観〔神のみ前では〕」の問題は私には難かしすぎる問題なので、この辺でやめておきますね^^;)

 何だかいくら書いてもきりがありません。余り長くなっては読む人にもご迷惑でしょうから、何回かに分けて書くことにしましょう。私も姫ちゃんように書きたいのですが、どうも無理なようです(汗)。

追伸:ハンドルネームを‘Ubuchann’から‘うぶちゃん’に改めました。 

世界人類が平和でありますように
皆様の天命が完うされますように
守護霊様、守護神様、有難うございます

以上


五井先生の教えには乗り遅れるも乗り遅れないもありません。
No.324 うぶちゃん    1999/05/05 (水) 00:56 神奈川
 先ほど森島先生とケントさん宛にメールを送信してからお風呂に入りました。そして、インターネットにアクセスしてOEを繋いでみたら、お二人からのメールが来ていました。何だか嬉しいものですね(^o^)
 一昨日の夜にAOLのバージョンアップ(IE4.01SP1に同時にバージョンアップします)といっしょにYahoo!ページャーのインストールをしたのですが、バグに見舞われて、昨日はそのために1日近くを費やしてしまいました(;_;)

 さて、それではさっき書き込むのをやめた文章の続きをを書かせていただきます。
 雑行を捨てて五井先生の直説に戻ることにつき感じるだろう困難についてです。
 (なお、この文章はワープロで書いたものをペーストして書き込んでいます)

 私は、ケントさんとは違って、「そんなに(昌美先生が)嫌いならやめなければいけない」と思った方ですが、‘乗り遅れるのではないか’という恐怖(?)から中々決心がつかなかったのです。
 私は93年に浅見定雄先生の訳された『マインドコントロールの恐怖』(スティーブン・ハッサン著、恒友出版刊)を読んで、靄が晴れるようにその辺がはっきりしました。白光(昌美先生の教え)をやめる決心がやっとついたのです。とても軽い気持ちでした。まあ実際に決別したのは印の伝授が始まった95年頃でしたが。
 その意味で私にはとても参考になった本でした。この手の本としては日本で一番始めに出た本で、意外かも知れませんが、とてもいい本なので取り敢えず推薦しておきます。

 ところで、かれこれ10年ぐらい前になるのですが、私もある白光おばさまに「そんなんじゃ乗り遅れちゃうわよ」と言われたことがあります。乗り遅れるも乗り遅れないもない、(念仏宗と同じで)五井先生に一度つながった人は最後は必ず救われるというのが本来の白光の教えなんだ、というのが私の考えですが、その辺の理解に関しては、『生きている念仏』以外に、特に五井先生の『宗教問答』(正続)が助けになってくれました。本は読んで置くものですね(^^)
 まあ、もちろん「そんなこと思うのはあなたの心が勝手にそう思うだけよ」と言われそうですが(事実その通りかも知れません)、でも、そんなふうに人に思わせること自体が問題なのではないでしょうか。私の頃は実はそれほどでもなかったのですが、ケントさんの言われることを読んでいると、最近の白光真宏会はそういう雰囲気を振りまいているようにも感じさせられます。

 それにしても、乗り遅れるの何のと言い出すようじゃおしまいですよね。真理に囚われた立場です。これじゃあカルト宗教と同じ。マインド・コントロールの脅しのテクニックを使っていると言われても仕方がありません。こんなものは五井先生の教えではない。もちろん今の白光真宏会はカルト宗教では全くありませんが、カルト化する危険ははらんでいるように思うとこの前書き込んだのはこの意味なのです。
 誤解があるといけないので書いておきますが、つまりは、五井先生の教えの説き方と比べて今の白光真宏会の教え方はマインド・コントロールのテクニックに一脈通じるものを感じさせられるということなんです。悪意はなくてもそうなってしまう、とでも言ったらいいでしょうか。うまくは表現できないのですが。とにかくこれは、真の宗教性(五井先生の教え)が理解できないままに、積極思想を光明思想と取り違えてしまった結果ではないでしょうか。業想念(潜在意識)のやることって巧妙ですね。光明と巧妙、下手なシャレでした(^_^;)

 なお、またまたエラソーなことを書いてしまいましたが、私は決して真の宗教性を全て理解しているわけではありません。まだまだ勉強中の身ですので、皆さんその辺はよろしくお願いします。アセアセ

世界人類が平和でありますように 

以上


いつも突然の質問ですいません
No.327 晶    1999/05/05 (水) 02:41 和光市
世界人類が平和でありますように

最近、ホームページの書き込みが活発ですね。
以前、時々書き込みをしていた晶です。
みなさんと森島先生のやりとりがおもしろく、また、ためになる話もかなりあったので「このままROMしてよっかな〜」と思ってましたが、このまま忘れ去られるのも寂しいので仲間に入れてください。

自己紹介みたいなものから。
わたしは、このPEACE NIFONができる前に、あるホームページで森島先生が世界平和の祈り一念の生活が正しいと主張されていたとき、現在の白光を養護する立場で発言していたこともあったのですが、実は私はその時既に白光の会員をやめていました。
原因はみなさんと同じで、無限なる言葉や我即神也の宣言に違和感を覚えていたからです。
入会は平成6年の夏で、退会は平成8年12月ですからわずか2年半しか会員ではなかったことになります。
そのころ森島先生を知っていたら、もしかしたらまだ会員を続けていたかもしれません。

それで、なぜ現在の白光を養護する立場で発言したかというと、森島先生が本物かどうか知りたかったからです。
だって、「白光は今どんな活動してるかな〜」と思ってたまたまホームページ検索をしたら、白光のホームページと、関連ホームページ「唯一会」という聞き慣れないサイトが見つかって、その主催者がいきなり「私は五井先生の教えを全て悟った」といってるんですから、多分私でなくともその時は眉につばを付けたはずです。
でも、私自身現在の白光の教えに納得していないので議論を続けることができませんでした。
そこで私の個人的な質問をいくつかして、「ああ、この人はわかってるな」と感じ、先生と呼ぶようになりました。
ちなみに私は森島先生とは個人的には連絡をしたことはなく、いつもホームページを通じての対話だけです。
うぶちゃんはメールのやりとり楽しそうですね。ちょっとうらやましいけど、わたしはあまり個人的な話題がないから・・・

それはさておき、私にはいまだに一つ疑問があります。お答えいただければ幸いです。

世界平和の祈りが最高の本心開発法であるというのは異論ありません。
そして、易行道・全託の道が、その名の通り自力を全て否定して守護の神霊に全ておまかせしない限りは、同じ想念のレベルでぐるぐると想念エネルギーをかき混ぜるだけで、少しぐらい良い想念で運が良くなっても本心には近づいていないと言うこともよく理解できます。

現在の白光の指導方法が本心開発からずれてしまっているのは疑いようがない事実ですが、それは守護の神霊の試みだけのせいでしょうか。

上に書いたとおり白光歴の少ない私にはあまり分からないのですが、どうも昌美先生の指導には宇宙子科学の影響が多分にあるように思えるのです。
私の少ない見聞の範囲では、宇宙子科学は宇宙心の中心から発せられる宇宙子が分裂して、それが幾層もの階層を経てこの物質世界まで現れる過程を研究する学問だと理解しています。
だとすると、その研究の中心は本心である宇宙心よりも、むしろその中間の過程である霊界や幽界におかれていることになります。
ある世界だけを専門に勉強すると(私も経験があるのですが)その世界の法則が全ての世界に通用するような錯覚を起こしてしまうものです。

宇宙子科学の研究に没頭するあまり、昌美先生は霊界・幽界の法則(想念世界の法則)を、そのまま本心開発に応用しようとしているように見えるのです。

宇宙子科学の研究は、今、白光に必要なのでしょうか?
もし必要であれば、研究者と宗教指導者は絶対に別人でなければならないと思うのですが・・・

全ての人の天命が全うされますように


「アセンション(地球の次元上昇)」
No.329 ケント    1999/05/05 (水) 11:13    
「アセンション(地球の次元上昇)」(長文注意)

森島先生、うぶちゃん、晶さん、こんにちは!

>>私は、ケントさんとは違って、「そんなに(昌美先生が)嫌いならやめなければいけない」と思った>>方ですが、‘乗り遅れるのではないか’という恐怖(?)から中々決心がつかなかったのです。

>>ところで、かれこれ10年ぐらい前になるのですが、私もある白光おばさまに「そんなんじゃ乗り遅れ
>>ちゃうわよ」と言われたことがあります。乗り遅れるも乗り遅れないもない、(念仏宗と同じで)五井
>>先生に一度つながった人は最後は必ず救われるというのが本来の白光の教えなんだ、というのが
>>私の考

この‘乗り遅れるのではないか’という恐怖と、じゃ一体何に乗り遅れるの?という疑問に関する考察は、是非、我々としても、やっておくべきことではないでしょうか?そこで、白光五月法話「十万人の神人誕生に向けて」から、重要箇所を下記に抜粋させて頂きます。

------------------------------------------------------------------

〜地球の次元上昇と神人の誕生〜
地球は二十一世紀には次元が上昇します。大宇宙の法則のもとに、地球自体の波動を高め上げなければ、宇宙との調和が成り立たないためです。(中略)そのためには、人類一人一人が究極の真理に目覚めなければならないのです。絶対多数の人類が真理に目覚めることによって、地球の存続は成り立つのです。それが叶わなければ、宇宙の法則、宇宙の運行から外れることになります。そうなると、地球それ自体の存続があやぶまれることになります。地球破滅?地球破滅イコール人類滅亡へとつながってゆきます。(中略)我々世界平和を祈る者、そして印を組む者は、すでに高次元波動に何度も接触しているので、何ら心に憂えることはありませんが、地球自体の次元上昇にともなって高次元レベルについてゆけない人たちがたくさん存在するのです。

〜五井先生の大御心〜
一方、地球の次元上昇にともない、全人類一斉の大進化に同調できずに、ついてゆかれない人類のことを思うと、一刻も猶予できない心境に至るのです。我々は今までに世界平和の祈りを祈れない人々のために、かつまた祈らない人々のためにも一生懸命、祈りを捧げてきました。こういった人々が一人でも今生からなくなるよう、彼らのために祈りつづけてきました。彼らに代わって、祈りつづけてきました。だがしかし、それでも宇宙の法則から外れてゆく人類、同調できない人類が存在するのです。
こういった人類に対して神々様、五井先生は大変心痛まれ、”何とかしろ”と私に改めて命令が下るのです。(中略)

〜十万人の神人が誕生した時〜
地球上に十万人の神人が誕生すると、地球のヴァイブレーションが見事に変化してゆきます。神人の発する波動により、地球そのものはより細かい微妙な、そして高度な状況へと発展してゆきます。地球上に存在する生きとし生けるものとの交流も、それぞれが発する波動エネルギーによって、一瞬のうちに理解することが出来ます。神人と生きとし生けるものすべてがお互いに全体的な地球大調和に向かって大進化してゆくのです。神人は、自らの意識を通して、人々の心や生けるものすべて一切の世界を知り、見、そして理解することが出来るようになるのです。
我即神也、人類即神也のヴァイブレーションこそすべてのものに大調和をもたらし、かつまた宇宙との交流も自然と行えるようになってゆくのです。宇宙との交流は、やがて宇宙人との交流につながり、一方神々との交流、自らの守護霊、守護神との交流もあたかも隣人と語り合い、付き合うような状況に自らが高まってゆくのです。
そして、富士聖地の三・七五次元レベルにおいて、宇宙神と直接交流することほど、素晴らしいことはありません。宇宙神より直接、地上に届く高次元エネルギー、高次元パワー、高次元の光の一筋を受け取るのです。この機会に参加できる人々は、やがて地球の重力をコントロールすることによって、時間空間を超えて、自らを自由自在に移動させることが可能になります。これは宇宙子科学ではっきりと説かれています。

------------------------------------------------------------------

あ〜いいことが書いてあるぅ、と素直にうっとり!(オイオイ!)私も、時間空間を超えて、自らを自由自在に移動させたいなぁ〜!(まるで、Back To The Futureの映画のように!)なんて、思っていると、もうはめられてしまっているんですよね。これが、、、(ケント、気付け!「世界平和の祈り」に統一せよ!)

上記の昌美先生の法話によりますと、‘乗り遅れるのではないか’ということで、じゃ一体何に乗り遅れるの?という疑問に対する答えは、「アセンション(地球の次元上昇)」に乗り遅れる、ということだったと分かります。

で、我々としては、じゃその「アセンション(地球の次元上昇)」は本当に起こるのか、いつ起こるのか、ということに関して、まず五井先生がどうおっしゃっていたかを調べるのが正しいと思われるのであります。

そこで、ここで、森島先生に質問をお許しください。(既に、過去の掲示にて回答済の質問がありましたら、申し訳ございません。)

1. 世紀末が近づくにつれて、ニューエイジ関係の書籍でも、「地球は二十一世紀には次元が上昇する」といういわゆる"アセンション"(次元上昇)に関する話題が多く取り上げられておりますが、五井先生はこのことに関して、またその時期に関して、どのようにお説きになれていたのでしょうか?また、森島先生のご見解は、如何でしょうか?

2. 上記にて昌美先生曰く、「この機会に参加できる人々は、やがて地球の重力をコントロールすることによって、時間空間を超えて、自らを自由自在に移動させることが可能になります。これは宇宙子科学ではっきりと説かれています。」に関して、森島先生のコメントを頂きたいのですが、、、

3. 私(ケント)が個人的に思うに、戦争の起こる(というか起こさせている、と思うのですが)最大要因として、現在の米国主導の資本主義システム維持のための必須要因として米国兵器産業の在庫一掃をやらなければ米国経済が破綻するからである、と思っています。で、そのために、世界中でちょっといちゃもんを付けやすそうなやつ(ミロシュビッチ、サダム・フセイン、北朝鮮で中小企業みたいに世襲で国のトップになった人等)に絡んで、人道主義の名の元に戦争を仕掛けていっているのは米国であると考えております。しかし、ここで米国のみを責めるのは愚かであって、米国がそのように自国の兵器産業を活性化しなければ、日本からの借金漬け(日本は最大の債権国、米国は最大の債務国、ちなみに日本は米国債を買わされ続けて売ることも禁じられている)を解消(返済)するだけの価値を生めずに破綻してしまうし、そうなれば、日本も物を買ってくれている(消費担当の)米国が破綻すれば日本も黒字倒産しますから(日米の貿易収支をそのまま見ると日本は最大の貿易黒字、米国は最大の貿易赤字)、、、、(で、ケント君、君の質問はなんですか?すみません。上記は多少主旨から外れてますね。出来ましたら、これに関して、森島先生のご見解を頂戴したく存じます。)

すみません、上記3.だけ主旨から外れた質問でした。なぜか、ポっと浮かんだものですから、、、とりあえず、載せさせてください。今回の掲示の主旨は、「アセンション(地球の次元上昇)」でした。

以上

>>宇宙子科学の研究に没頭するあまり、昌美先生は霊界・幽界の法則(想念世界の法則)を、
>>そのまま本心開発に応用しようとしているように見えるのです。

晶様の深読みが出来る能力に感心させて頂きました。私は、こういうように深読みの出来る方を尊敬してしまいます。(いわゆる「そのまま」って言うのは、それは信仰の世界でそのまま神様に繋がることが出来ればいいですが、大体、変なのに繋がってしまうことが多いものですから、このように深く読める能力というのは大事だと思います。)


ちょっとはずしたかな
No.358 晶    1999/05/10 (月) 00:43 和光市
ちょっと留守をしている間に面白い議論があったようですね。
まーちんさんと森嶋先生の対話、正面から激突してしまいましたが、まだまーちんさんはこのホームページをごらんなのでしょうか。
お二人の議論を見て、私なりに考えたところを以下に書いてみたいと思います(ちょっと時期を逸してしまいましたが・・・)。
心得ちがいがあればご指摘ください。

------------------------------------------------------------------------------
私は、人は神にはなれない。

一つは、人は本質においてすでに神であるというなら、いまさら神になるという問題は起こらない。
人は神と等しい存在、まさしく人即神である。

もう一つは、この想念の塊である、今私たちが「私」として認識している存在は、消え行く姿であり、本心が現れれば消える存在である。
消え行く存在の私は、神にはなれない。
私が消えてしまったところに忽然として神がその本性をあらわす。
つまり、仮面をどんなに飾り立て、磨いても、素顔にはならない。

私は神であると宣言しても、その我(神)を認識することが、今の私たち(想念)にはできない。
私たちの心にある神という概念(神とはこういうものであろう)を思い描いても、それはただの観念に過ぎない。
印の効力についても、それは印を組んだ人の想念の状態を変化させるだけで、想念を消し去るものではない。
ただ、瞑想しやすくなったり、祈りに入りやすくなることはあるだろう。
それは祈りの補助として使う分には(瞑想で蓮華座を組むように)有効かもしれないが、それだけで本心開発に役立つものとはいえない。

------------------------------------------------------------------------------

世界人類が平和でありますように


第一回ピースミーティング課題(ケント)
No.399 ケント    1999/05/18 (火) 19:54    
ケントです。下記に私の答案を書き込ませて頂きます。このように、掲示版に答案を各自書き込んでいけば、オンライン勉強会となり、22日に来れない人も参加するのと同じになりますね。では、まず、口火を切らせて頂きます。

[昌美先生の光明思想と五井先生の光明思想のそれぞれの特徴]

[昌美先生の光明思想の特徴]

昌美先生のお書きになる文章や教えには、他の精神世界関連の書籍からのパクリがあるため、それだけでも昌美先生自身の教えとして評価するに値しませんが、取りあえず、パクリの部分も包括して昌美先生の教えとしましょう。また、その教えには矛盾が多いので、どこを捉えるかによって、かなり解釈が異なると思われますが、昌美先生の基本教義としては、やはり「我即神也」の宣言文であると思われます。宣言文の次の箇所にご注目ください。

「私が語る言葉は、神そのものも言葉であり、私が発する想念は神そのものの想念であり、私が表す行為は、神そのものの行為である。」

私は初めてこの箇所を読んだ時、「密教の三密行のように、言葉(マントラム:ワーレーソークーカーミーナーリー)・想念(意識)・行為(印契)を通して、「自己の神なること宣言していく」という行法」と思いました。(しかし、凡夫が宣言だけしても仏にはなれず、不美人が美人と宣言しても周りは認めず、貧乏人が金持ちと宣言しても惨めなだけ、というのはこの掲示板で再三説かれているとおりであります。)

よって、「私は神・仏である」という法華経的理念を密教の三密行を通して実現しようとする行であると解釈できるのではないかと思われます。これが、昌美先生の光明思想の基本的理念ではないかと思われます。

[五井先生の光明思想の特徴]

「世界平和の祈り」をすることにより、自ずと救世の大光明が光り輝く。それが約束ですから、まさに、全託の祈りであります。自分が光明、光明と想わなくとも、「世界平和の祈り」を祈らせて頂くことによって、自ずから光明にならせて頂けるのです。

「世界平和の祈り」は、五井先生と神界との約束ごとであるため、効果は保証付きです。この場合の保証付きというのは、絶対倒産しないクレーム先が存在しているようなものである、と思います。五井先生曰く、「もしこの祈りをやって地獄へ行ったなら、私の首をキュッキュッと絞めに来なさい。そしたら、とたんに救い上げちゃいますから、、、」(五井先生のテープ「あの世の話」より抜粋)

[五井先生の光明思想と昌美先生の光明思想の比較]

要は、波動が肝心であると思います。下記A.B.を心して、唱えてみましょう。

A. 「私が語る言葉は、神そのものも言葉であり、私が発する想念は神そのものの想念であり、私が表す行為は、神そのものの行為である。」

私の感じでは、この波動は、念力を凝らすのに適しているように思われます。というか、読んでいると念が凝らされてくるように思います。無理が感じられます。

B. 「せかい〜じんるいが〜へいわで〜ありますように〜」

ああ、とうとい五井先生のお声が心の中に響きます。これぞ、済み清まった神界の響きであるような気がいたします。

上記の理由から、昌美先生の光明思想は、念による自力行であるため、「世界平和の祈り」のような絶対他力の光明力がない、と思われます。その根拠として、「白光の道」60頁に次のような文章があります。
「祈りは、自己の想念の力をすっかり神様におかえしして、お任せして、空になってしまった心境であり、念力は、自己の想念の力を他に働きかけて、自己の想いどおりに相手を動かそうとする心であり、業因縁の執着する心、把われの心であります。こうしたことを認識せず、祈りと念力とを同じと思わせるような説き方をすることは、宗教への冒涜であります。」

また、私の経験では、「我即神也」の印で、苦しむ想いが消えたことはかつてありませんでした。ただ、気晴らしにはなりました。苦しいときには、五井先生の詩のテープを聞くほうが心が楽になったように思います。業想念は、守護の神霊が消して下さるのに頼るしかないように思えます。自力で業想念を消せるのは、特殊な上根の人のみではないでしょうか?上根の極みの役の行者のような方ですら、しげせん(また漢字が出てきません、すみません)を成し遂げたあとに、霊界で他力に転向されたくらいですから、、、

注)しげせん:肉体をもったまま、霊界に移行すること。

[昌美先生の光明思想は、どこが間違っているのか?]

間違いも何も、五井先生のは、神界との約束事ですが、昌美先生のはそうではないと思っておりますので、ほんものとにせものの違いのようなものであると思います。同書64頁より五井先生曰く、「人間は真の祈りなくしては永劫に救われない者なのです。」とあります。よって、昌美先生流をやっておられるかたは、一生懸命にしなくてもよい傲慢をやってしまっているのではないでしょうか?昌美先生に過去世からのよほどの借りでもない限り、昌美先生流の行法は、目覚めたらとてもやってられなくなる、と私は思います。私は、完全にすっかり印の波動から抜けました。今は、「世界平和の祈り」のみです。

[「白光への道」全体に関する感想]

これほど、五井先生が口をすっぱくして「世界平和の祈り」を唯一の祈りとして祈りなさい、と言われているのに、多くの人がそれてしまって残念です。と同時に、唯一会につながれた自分の幸運を思います。
五井先生、ありがとうございます。

最後に、同書154頁よりの引用を持って終わらせて頂きます。「守護の神霊を一つに集めた救世の大光明の力で、そういう幼い子供のいたずらを止め、一挙に成長させるための光のエネルギーを、地球人類に送り込んできているのです。その光の柱、エネルギーの注入場所が、世界平和の祈り、ということになっているのです。」

そうなっているのだから、それ以外にはないでしょう。「世界平和の祈り」を祈りましょう。

以上


有り難うございました
No.402 子羊    1999/05/18 (火) 22:25 茨城県  
世界人類が平和でありますように

森島先生ありがとうございました
私も五井先生の御著書を早速読み直して,五井先生のみ教えを学ばせていただきたいと思います
本当に森島先生がいらっしゃっる為に,道を迷わないですみそうです
感謝いたします


はじめまして
No.491 ねこりん    1999/06/13 (日) 06:22    
世界人類が平和でありますように

2,3日前にこのページを発見して非常に興味深く、読んでいます。
やはり、このような考えの方も多くいるのだなと思って安心いたしました(五井先生の本にひかれて白光に入ったので)。

あと、とびいりですが、ケントさんとの「天と地をつなぐ者」についての問答の1番についての私の答についても採点していただけないでしょうか。


(私の思うところの答え)
ずばり、「世界人類が平和でありますように」の祈言そのものが答えのような気がします。よく聖者の伝記などを読むと、とうてい一般人には出来ないような経験をへて、悟りに達したり、安心立命したりしています。これは、ごくごく1部の人にしか出来ません。
そこで、五井先生は覚者となる時の悲願として誰にでも(ここが重要と思っています)出来る道を切り開いてくだっさたのだと思います。
これが天(真理)と地(世界人類(五井先生の意味での))をつなぐという意味ではないでしょうか。

森島先生の天命がまっとうされますように
皆様の天命がまっとうされますように
五井先生ありがとうございます


はじめて寄稿します。
No.609 隠れ信者    1999/07/19 (月) 18:01 東京  
世界人類が平和でありますように

 はじめまして。東京に住む35歳の男性です。
 唯一会のホームページを拝見して、驚愕してしまいました。もちろん、白光真宏会の現状にです。
 私は、白光真宏会の会員ではありません。しかし、五井先生の本は10年ほど前から読んでおり、世界平和の祈りも毎日行っています。(隠れ会員といったところでしょうか)
 また、昌美先生の本も3年ぐらい前から読んでいます。そして、昌美先生の念力主義的な教えと今までの五井先生の教えとの関係について、どう理解したらよいのか解らずにおりました。
 実は、”我即神也”を1年ぐらい前に読んだとき、白光真宏会の人達は、今急速な進化の道に入ったのかもしれないと思いました。そして、自分も入会しなければ、取り残されてしまうのではないかと心配になり、印の伝授係に電話をしたぐらいです。(もっとも、3回くらい電話しても誰もでてこなかったの
で、そのうちに忘れてしまいましたが・・・)
 ところで、ごく最近出版された昌美先生の本を2、3冊読むと、念力主義が薄らぎ、再び五井先生の教えに戻りつつあるようにも見えます。いずれにしても、白光真宏会に所属せず、知人もいない私のような者にとって、このページは貴重な情報源となります。今後も白光真宏会の動向について、ぜひ詳しく教えてください。


4回目の投稿です
No.629 隠れ信者    1999/07/23 (金) 07:11 東京  
世界人類が平和でありますように

 森島先生、唯一会へのお誘いどうもありがとうございます。このことは、自分なりによく考えてから決めさせていただきたいと思います。

 ただ、”世界平和の祈りさえしていればよい”ということを改めて自覚することができたのは、この掲示板のお陰だと思っています。したがって、先生には深く感謝しております。

 私は、唯一会の考えに深く賛同します。
 そして、五井先生の教えが、日本をはじめ世界各国に正しく広まっていくことを願ってやみません。


この掲示板
No.666 ねこりん    1999/07/24 (土) 03:32    
世界人類が平和でありますように

ここは世界平和の祈りだけをしていればいいのだという
宗教的確信を与えてくれる貴重な掲示板です。
(誰々が悟っていようが、指導方針が違がかろうが関係
ないのです)
先ほど拝見していましたら、掲示板がリアルタイムチャ
ットのように見えました。このようなことは別にチャッ
トルームでも設けたらよろしいのではと思われます。

初めてここにきた人は大抵、最新の書き込みから見ます
から、それを見て、いい所を見逃してさって行く可能性
があります。

皆様の天命がまっとうされますように


森島先生、ありがとうございます。
No.733 ソレイユ    1999/07/29 (木) 22:05 福井県  
世界人類が平和でありますように

森島先生はじめまして。

本日、何気なくインターネットで”五井昌久”というキーワードで検索をしていたところ”唯一会”というホームページを見つけました。それで”PEACE NIHON”の会議室を読ませていただいたのですが、私が現在の白光の状況に抱いていた疑問に対し、「ああ、同じように思っていた方が居られたのだ!」とホッとした次第であります。

私はどうも白光とは縁があったようで、母親が昔からの信者でありましたので、小さい頃から母に連れられ、聖ケ丘などに講話を聞きに行かせていただいたものです。幼少の頃、五井先生の講話を直に見られそうな機会もあったのですが、トイレに行きたくなり、トイレから戻ったときには、人がぎっしりで直接五井先生のお顔を拝むことは出来ませんでした(^^; されど「ああ、こんなに五井先生の顔を見たい人が居るのだから、自分は我慢しなくちゃいけないなぁ。」と思ったことを、なんとなく覚えています。

そういう経験があった為か、「ひょっとしたら、私は五井先生とは縁が無いのだろうか?」という思いが迷いとして在ったのでしょう、成長するにつれ、白光とも縁が遠のいてしまい、いろいろな本(オカルト系とか物理系とか宗教系)で知識で救われようとした時期も在りました。(自力の思い)過去世の因縁からか、なにごとでも自分で自分を責めてしまう傾向にあり、それでも「魂として成長したい」という思いから小悟(守護霊様・守護神様が教えてくださったのでしょう)したり、迷ったり(自我の思いで自分を苦しめているのでしょう)していたのですが、結局とうとう鬱状態にまでなり、「これは知識が自分を苦しめているのだ」という結論に至り、知識を捨て”世界人類が平和でありますように”という他力の思いに至りました。

ですが、当時、母親や姉がやっていた”我即神也”の行には、ついていけないというか、拒否反応を起こしていたので、どうしても白光に素直になれませんでした。されど「素直にならなきゃいけない!全身で信じる為には、白光の先生にお会いしなくてはならない!」と決意し、母親のツテで、N先生のご自宅まで参らせていただきました。N先生自身は実にご立派な方なのですが、”人類即神也”の印を受けていない私が、周りに迷惑をかけないように、印の真似事を、たどたどしくやっているのを見た会員の方が、

「あなた、印はしっかり組まなきゃ駄目よ!もし、印を受けてないなら、どなたからか受けなさいね!」

と言われた時、私は情けなくてポロポロと泣いてしまいました。

何も出来ない自分が情けなかったのもありますが、万人が救われる教えが白光だったのに、「救われる人を選別する宗教」になってしまったように感じてしまったのも、情けなかった要因の一つです。しかし、N先生のお浄めと、二言三言の教えに救われ、当時はホッとしたものです。それでも、私はどうしても、「我即神也」の行には、納得いきませんでした。

つまりは、五井先生を信じきっておられる森島先生が、”我即神也”を否定している事実を知って、「私の考えは、間違ってはいなかったのだ!」と安心させていただいたので、森島先生に感謝を述べたかった次第であります。

森島先生、ありがとうございます!
世界人類が平和でありますように!


はじめまして
No.735 むく    1999/07/29 (木) 23:38 宮城県  
世界人類が平和でありますように

こんにちは、1週間前ほどから毎日PEACE NIFON 読ませていただいています。私は3年前に白光に入会したのですが、その間どうにもスッキリしないものを感じ、印は組まずにお祈りだけしたり、退会しては又再入会したりと、フラフラ天秤のように(私天秤座生まれです・・・関係無いかしらね・・笑い)揺れ動く気持ちがありました。

そして、その揺れが、どこから来るかと言いますと、昌美先生の言動に対する疑問からでした。そして、天秤の揺れが納まって感じるのは、いつも決まって、五井先生には心からYESなのに、昌美先生にはNOということです。

実は、この6月に入ってから大揺れの時期に突入し、やっと最近のこと「私は一人でお祈りだけして行こう、会もやめよう、守護霊、守護神様そして五井先生とだけ繋がっていられれば良い」・・・そんな結論に達したばかりだったのです。

唯一会のHPは、その6月に入ってすぐ、白光のHPを検索していた時に、偶然見つけて知りました。
「あっ!世界平和のお祈りだけをしている人達もいる!!」・・・とワクワクしましたが、「昌美先生は五井先生の後継者だから」という想いが、「昌美先生を受け入れられない」という自分の直感に蓋をしてきた、と思っていたところだったので、あまり深入りせずにおこうと(ごめんなさいネ・・)思ったのです。今起きている揺れが納まるまでは誰の意見にも左右されず結論を待ちたいと思ったからです。

そしてHPを閉じたのですが、『私達の生き方は他力易行道』というページの初めに載っていた言葉だけは、それからも暫く、心の中で鳴り響いていました。「五井先生の教えは他力」・・・それに惹かれて、肩の荷が軽くなったような感じになって、「その教えを学び実行したい」と思っていたのでしたが、森島先生が言われるように、昌美先生の教えには、他力と自力が混在していて、私の混乱の種だったのです。
そこに、『他力易行道』の文字が飛び込んできた時には、その文字の所だけ格別に輝いて感じられたのです☆(有難うございます)。

今回、もう一度このHPを読んでみたいと思ったのは、「世界平和のお祈りだけをしよう」という心境に落ち着く事ができたからでした。過去に遡ってPEACE NIFON 読破中(?!)です。
(今のところまだ半分かな・・)。

富士聖地の行事に何度か参加したことはありますが、集会その他、会員さんが集まるところには参加したことが無く(したくなかったので)、ほとんど、入会のきっかけになってくれた親友と話すだけでした。
そんな私も、きっとこれからは、毎日このHP開いてしまうでしょう・・・ 

疑問や質問がある時には、森島先生にお尋ねしてもよろしいでしょうか?
そうしてもらえると嬉しいです。それでは・・・
                  (※管理者/一部内容を修正して再記載させていただきました)


白光会会員のつぶやき
No.792 子羊    1999/08/03 (火) 07:03 茨城県  
世界人類が平和でありますように

森島先生、いつもご指導ありがとうございます。

唐突ではありますが、私は、直感的に五井先生の教えに入っていた為か、未だに昌美先生の呪縛からは、実は、完全に抜け切れておりません。

ずっと以前より、昌美先生の個人的なお話は、「昌美先生のお話は、宗教ではないな。昌美先生のお話は、修養(五井先生は、修養で普通の人が立派になるのは、非常に難しいと教えてくださっていますが)だな。五井先生の御教えを学んだ者が、昌美先生のご本等から何か学ぶところがあるのかな?」などと、考えておりました。最近は、「昌美先生は、霊能者だから、凡夫ができそうにないようなことも、平気で簡単にできるように、お書きになっているのだろうなー。ただ、流れてくるままに、そのまま、伝えているのだろうなー。」などと、考えております。

ただし、私は昌美先生の全てを否定しているものではなく、あくまでも、”宗教指導者”としての、一面を支持していないだけです。世界平和の祈りを熱心にお広めになっている、もう一つの輝かしいお働きに関してましては、昌美先生以外に、誰も成し遂げられないようなことだと思っております。そして、そちらのお働きに関しては、不肖私は、昌美先生の前で、ただただ頭をたれるだけです。そして、昌美先生を、いつまで褒め讃えつづけても、褒め讃えたりないものとも思っております。「これこそ、五井先生が、昌美先生を、後継者に、お選びになった理由なのだろうなー」と、一人考えております。

しかし、こと”神示”となると、神示という言葉にとらわれ神示を実施できない(実施しない)
自分は、時々次のようなことを考えます。
「神示を実施できない(しない)自分は、やはり、白光会の落ちこぼれなのかなー。でも、”願望成就”のような(五井先生の御教えに反する)ことを、古い会員さん達が、もしも、実施しているのならば、神様は”願望成就”等を実施している人達に、きっと”不合格”の証書を渡しているのだろうな。もしかすると神様に”ばかやろう、なにをやっているのだ。今まで、(五井先生の教えの)何を学んできたのだ”などと、おしかりを受けているのかもしれないな。自分は、少なくとも、五井先生の、御教えをはずれてはいないので、”合格”はさせてもらえないかもしれないけれど、神様の”お怒り”を受けることはないな。」と。

以前、古い会員さんが、白光会をどんどんやめていくとの書き込みを読みましたが、私も、どちらかというと古いほう(五井先生のみ教えを、真面目に行じはじめて、10年程度)なので、やめていく気持ちが、理解できるような気がします。新しい会員さんでも、五井先生と昌美先生の違いを理解できる方もいらっしゃるようですが、えらいですね。

森島先生は、昌美先生の神示を、一刀両断に切り捨てていらっしゃいます。私も、理論的には、森島先生の、お考えが正しいものと理解しております。(なぜなら、願望成就のような、五井先生の御教えに反していることを教えていらっしゃる方が、神様の正しい波動を、完全に、受けられるとは、考えづらいので。)また、唯一会に登録させていただいたからには、森島先生のお考えに従わなければならないもの、とも考えております。(森島先生は、盲従されるのは、お好きではないようですが..)
しかし、私は未だに、昌美先生の神示を、「昌美先生は、正覚者ではないので、神様の波動を100%受けられることは、ありえないな。したがって、”我即神也”等の宣言文についても、もしも、仮に神示としても、100%ではありえないので、せいぜい90%(私のかってな解釈です)だよな。そのような、不完全な宣言をあえて自分が、実施する必要は、ないな。世界平和の祈りは、100%だから、リスクのある、”我即神也”の宣言をするよりも、100%完全な、”世界平和の祈り”をしていれば、間違いはないな」などと、考えております。
自分は、特に”我即神也”の宣言文を宣言したいわけでは、ありませんが、やはりなんとなく、”神示”は気になる時があります。

森島先生に指導を受けさせていただいている現在は、以上のようなことは、どうでも良くなりつつあるのですが...

ところで、昌美先生の教えが、五井先生の御教えとはずれてきたのは、いつ頃からなのでしょうか?やはり、我即神也が発表された頃(95年頃?)から、なのですか?(私は、白光誌を真面目に読んでいなかったので、良くわかりません)。また、”昌美先生は、試みのお役目”との文章を、以前の書き込みのなかで、みつけたのですが、もしも、さしさわりがなければ、そちらについても、教えていただけると、ありがたいです。よろしく、お願いいたします。

世界人類が平和でありますように
掲示板をご覧になるすべての方々の天命がまっとうされますように


森島先生、スパルタモードですか?
No.839 晶    1999/08/07 (土) 02:06 福岡市
1日さぼっていたら発言の数の多さに驚きました。

森島先生、そう(時代劇のように)バッサバッサと切って行かなくてもいいんではないでしょうか。
最近、質問責めで少しお疲れなのでは?

さて、「唯一、最高」についてはその言葉の組み合わせで聞くと排他的ですが、五井先生の話された文脈で理解すると分かりやすいと思います。

手元には「老子講義」しかないのですが、そのなかに、「最高」という文脈があります。

「明の境地(自らを知る)というものは生やさしく入り得るものではありませんから、その明の境地への入り口である、祈り心をもって日常生活をすることが大切であります。祈り心のうちで最も高い広い祈り心は、世界人類が平和でありますように、という世界人類の平和を願う祈り心であると、私は確信しているのであります。(139P)」

「あまり高い境地ばかりを目指しておりますと、なかなかそこまで行きつかなくて、自分自身がかえって情けなくなって、道を求めることに疲れてしまいます。そこで私は、すべての想念行為を消えてゆく姿という言葉にしてしまい、その消えてゆく姿をひっさげて、常に常に神の御心に飛び込んでゆくことを教えているのであります。その飛びこんでゆく方法が祈りでありますし、その祈りの最高の心が、世界平和の祈りであるのです。(169P)」

「祈りとは業想念波動を静めて、神の御心の光明波動の中に自己が入ってゆくことであります。自己の神の子としての本質を光り輝かすための方法であります。静を勝たせるための方法です。そして、その方法の最高の在り方が、世界人類の平和を祈願する世界平和の祈りであるのです。(219P)」

ざっとしか目を通さなかったので「唯一」という言葉は探し出せませんでしたが、たしか以前読んだ本で、「私の教えは徹頭徹尾、世界平和の祈りっきりです」というような記述があったような・・・

まあ、とりあえずこの時点で私の意見をかいてみると、

「最高」については、
”世の中が平和になるには、一人一人が本心に目覚めなければならない。そして、難しい教えを勉強したり、日頃から自省的な生活をする習慣のない、多くの人たちが、日常の生活を崩さずにしかも宗教の極意を得るには祈りしかない。祈りのうち、救世の大光明の助けを得て、最も速やかに本心開発が出来、しかも世界平和にも直接貢献できる世界平和の祈りが、最高である。”
というところでしょうか。

世界情勢が不安定で、人々は日々の暮らしに忙しい時代。
そういう時代に、最も効果のある、しかも行じやすい、つまり最も適した修行方法。

つまり、普遍的というのは確かにご指摘のとおりで、救世の大光明というのは宗教、民族を越えた守護天使の霊団(という表現でよかったですよね?)の働きですが、その働きに直結した祈りが世界平和の祈りで、それは現在(そして将来も?)最高の祈りであり、全ての人が宗教、民族、国籍を問わずに祈れる、
そして、世界平和実現のためには全ての人が祈るべきものだということになろうと思います。
森島先生は、五井先生が著書で使われた「最高」という表現をそのまま使っていらっしゃいますが、普遍的というのはそれをより知的に表現したものだと思います。

多分、以上でいいと(心得違いはないと)思うのですが・・・

「唯一」についてはあまりあてにならない記憶が頼りですのでコメントは控えます。

世界人類が平和でありますように


森島先生ありがとうございます
No.852 子羊    1999/08/07 (土) 22:45 茨城県  
世界人類が平和でありますように

私は、ショックを受けています。
何日か前、恥ずかしい質問をして、高橋荘介さんにご指摘をうけました。
そのとき、高橋さんのいっていることは、正しかったので、「私も、高橋さんのように立派にならなくてはならないな」、と思っていたのです。(すこし、傷つきましたが..)
それが、今日の書き込みをみると、感情をまる出しにして、とても宗教人とは感じられないような、言葉が書き込んでありました。それを見て、高橋さんは”立派”な方とは程遠い方と、感じました。

私には、森島先生には、私などのような多くの人間を「救いたい」という、愛念のみしか、感じられません。それを、
>私の知る限り 五井先生の御教えからは もっとも遠い方ですね。
> まさに敵対心と憎悪しか持ち合わせていない(以下、あまりにひどい表現なので省略)
などのような、言葉を浴びせらるとは!私は、森島先生が、このような辱めをうけながらも、私共を、お救いになってくださることに対して、哀しみと、感謝の涙を、ポロポロとこぼしています。

私は、森島先生の、ご指導を、拝見していると、本当に、愛念の深い方だなーと感じさせられます。森島先生のように、愛念の深い方は、私には、どう考えても、すでに、救われていると思われます。そして、この掲示版は、”救いの場”(表現が固くてすいません)として、開設してくださっているものと、私は、理解しております。森島先生が、昌美先生に、対抗心などという、低い感情想念を持ち合わせているとは、私には、とても思われません。

(森島先生の、お言葉)
>私は、五井先生に全託して、「世界平和の祈り」に生命を懸けたんです。この信念を曲げ、五
>井先生の教えを引っ込めるくらいならば、私は死んだほうがましです。そんな私は、生きてい
>る価値なんてないんだ。
            
森島先生、有り難うございます


”唯一”のお言葉について
No.875 子羊    1999/08/09 (月) 16:57 茨城県  
世界人類が平和でありますように

ついさきほど、「如是我聞」シリーズを読んでいました。そこで、”唯一”のお言葉を発見しましたので、お知らせいたします。

(続・如是我聞 NO20より)
「世界平和の祈りは大光明である。唯一つの避難所である。(以下、長いので省略しますが、大変良いお言葉が、続いています)」

(続・如是我聞 NO53より)
「世界平和の祈り以外にわが行く道はない。」

(続・如是我聞 NO268より)
「祈りをますます深めてほしい。もう祈りよりない、ということをつくづく感じる。(以下省略)」

また、最近の議論(このような表現しか思い浮かばなくてすいません)に関連して、興味深いお言葉を発見しました。
(続・如是我聞 NO323より)
「先生の一番してもらいたくないことは?
私が一番いやなことは、押しつけがましいということです。教えでも、向こうがききたくないのに無理無理きかせようとする態度は、あまりいいとはいえません。
 それから、自分を一段高みにおいて、お前に教えてやるんだ、という態度。私は悟っているけれど、お前さんはかわいそうに悟っていないから教えてやるんだ、という態度。これは一番いけないと思います」
※森島先生に自分の考えを押し付けてくる人に、この五井先生のお言葉を贈ります。


”唯一”のお言葉について#2
No.887 子羊    1999/08/12 (木) 08:32 茨城県  
世界人類が平和でありますように

森島先生、御回答有り難うございます。
この掲示版は、身構えて、書き込みをする必要がないようなので、気軽に書き込ませていただきます。
>五井先生の教えを知らない人々のために、他のご本からも発見したら、書いてあげて下さい。
とのことなので、喜んで、再度書き込みをさせていただきます。ただし、今回は、”唯一”の言葉、そのものは、ございません。

以下、「高級霊(ハイスピリット)は上機嫌」よりの、抜粋です。

25ページより
「それは親鸞の南無阿弥陀仏と同じなのですよ。南無阿弥陀仏が往相(おうそう)から還相(げ
んそう)、菩薩行になって世界平和の祈りになったのです。だからみなさんは、世界平和の祈り
さえしていれば、自分の業想念のことなど思わなくていいのです。知らない間にいい人間になり
ます。」

41ページより
「それで空になる一番のやりいい方法は業想念をどこかへ入れてしまうということ。それが世界
平和の祈りなんですよ。」

85ページより
「だから世界平和の祈りをすると、世界人類のためになると同時に自分のためにもなるわけです
ね。自分の調和を築き上げる、自分が統一体になって、すべてのものが統一出来る、というよう
な心に自然になるわけです。そういう面から考えても、世界平和の祈りは素晴らしい。昨日もそ
の本をよんでいて、やっぱり世界平和の祈りの処までいかなければだめだと思った。消えてゆく
姿でもって、世界平和の祈りが一番すごい。」

124ページより
「心から平和を祈りながら、それで亡びるということは絶対無いんです。なぜ無いかというと「平和
の祈りをしろ」と教えているのは大神様なんです。大神様の働きとしての救世主が「平和の祈りを
しろ。それだけしかないんだ。お前たち人間の想いを平和の祈り一本にもってゆけ。職業も日常
生活もすべて、世界平和の祈りの中から始めなさい。そうすれば日本が世界の平和の本当の中
心になれるんだ、それが日本に課せられたる使命である」とハッキリいっている。「そうやってさえ
すれば、お前達の地上界の肉体の力だけじゃ足りないから、守護の神霊を現して援助する。宇
宙人を現して援助させる」という言葉を大神様のほうから云って来ているんです。それは間違い
もないことなのです。それが間違いであるならば、他に方法はなにもない。平和の祈りが叶えられ
ないならば、あとは亡びるより仕方がない。」

129ページより
「...私のいうことが実現しなければ、世界は亡びるんですよ、他に方法なんかありはしない
のだから。
 唱え言はどんなことでもいいです。業想念をつけたままでもいいです。自分の心が浄まってか
ら、自分の心に不安がなくなってから、自分がもっと偉くなってから世界平和の祈りをしましょ
う。なんていうのはとんでもない間違いですよ。そんな想いではいつまでたってもよくならない
。自分の想いが迷いに満ちたままでいい。否定の心のままでいい、病気の想いのままでいいから
、そのままで、”世界人類の平和”を祈るのですよ。これが私の教えている一番の根本なんです
よ。」


祈りの宣伝について
No.891 リトル−ミドル    1999/08/13 (金) 19:36 愛知  
世界人類が平和でありますように

ログを最初から読ませていただく中で、森島先生が「青空」に投稿されていた、ということを知り、私も改めて開いて見てみました。するとたまたま私が気になっていた、み教えの普及に関することを五井先生が話されているところを最初に見つけ、興味深かったので紹介させていただきます。

 「あくまでも、世界平和の祈りを祈って、守護霊様、守護神様が守っていてくださる。天命を成就させ給え。天命が完うされますように、と祈りながら生活していってください。
 座って祈るばかりでなく、さっき清水さんが言っていたように、いろいろな人と交流したり、世界平和の祈りとはこういうものですと宣伝する。青年は、外へ、外へ、外へと働きかけていったらいいと思います。今まで一時間座っていたのなら、三十分にして、三十分は外で働くというようにしたらいい。平和の祈りをすれば病気が治る、貧乏が直るというように宣伝する会ではないから、待っていても人は来ない。どうしてもこっちから平和の祈りを実践していかなければ広まりません。
 そして言う場合は、しつこく言っても駄目です。いくら言っても、縁のない人は来ません。さっさと言うだけ言っておいて、後はサッパリしていることです。すると、その時は入らなくても一年経ってから、「この間もらった本読んでみたらいい本だった」とか言って来るかも知れない。皆さん「世界平和の祈り」の新聞でも「白光」でも、自分の読んだものでいいから、配って歩いて運動してください。
 青年が手をつないでやれば、出来る。なんといっても青年にかなうものはありません。青年がいなかったらこの世はおしまいです。人口が多くなったといっても、昔は五十、六十で死んでいたのに、今は七十四ぐらいまで生きている。うっかりすると女の人は八十歳ぐらいまで生きる。その一方で、産児制限で若い方がだんだん減っていったら、おじいさん、おばあさんばかりになって滅びてしまいます。皆さん方青年が、今一生懸命世界をよくするために、日本をよくするために働かなくては、やがて日本も世界も滅びてしまいます。
 日本を立派にするのも、世界を立派にするのも、皆さん方の双肩にかかっているんですよ。我々は、皆さんの行く道を照らし、道を拓いてく役目です。神様が守っているんだから、世界平和の祈りを祈りなさい。この祈りを広めなさい、と言って道を拓く。皆さん方がその道にのってどんどん行くと、発明家は発明が出来るようになるし、実業家はいい実業家になるだろうし、役人はいい役人になるでしょう。お互いに助け合いながら、平和の祈りを根底にどんどん進んでいったらいいと思います。
 こうやって一緒にいるということは、大変な縁なんですよ。何生もかけて生まれ更り死に更りしている、みんな魂の似た人達がここに座っているわけです。
 昌美も見えると思いますが、神々がここにいっぱいいます。神詰まりに神詰まっています。それはそうでしょう。一人に三体は守っているんですから。それも、こーんなに大きな体なんですから、重なり合っているわけです。そして交流しながらやっていくわけです。
 世界平和の祈りを根底にして、明るく青年らしく、自由自在に働いてください。お願いします。ありがとうございました。」
 (昭和49年11月24日全国青年大会にて)(「青空」昭和57年1・2月号P11〜P12)

私の心の歩みは遅いのですが、前向きに進ませていただきます。


真実に相手と調和すること
No.897 ケント    1999/08/14 (土) 10:37    
世界人類が平和でありますように

森島先生、いつもご指導ありがとうございます。

子羊さんが、よく「如是我聞」シリーズから引用されてますので、私も、本棚から取り出して、再読しました。以前に何度も読んだはずなのに、何か、新しい感じがしました。

よく、「すべてはひとつ」とか「万物一如」と言う人がいます。私を五井先生に導いてくれた方がクリシュナムルティを覚者として尊敬されていて、よく私に、「クリシュナムルティの悟りの体験では、窓の外から見ていた街路樹をまったく自分であると、或いは、その他、目に入る一切すべてのものを自分であると認識されたんだよ」と語ってくださっていました。

このクリシュナムルティに似た悟りの体験をした方は、他にもおられますが、これは、五井先生が神界に昇られて、衣冠束帯のご自分の本体と合一されたという体験とは種類が異なっています。私は、前者を空間式の悟り・空間意識の体得のレベル、そして、五井先生の悟りのご体験をエレベータ式の正統な悟りの体験と仮称しており、今では、前者をさほど評価しておりません。(ただ、一部評価している面もありますが、ここでは、割愛します。)

さて、「すべてはひとつ」とか「万物一如」という言葉なんですが、こういった言葉も、真実に覚者となった方がそう言われた場合には、真理の言葉としての響きをもつのですが、中には「すべてはひとつだ」と言いながら、森島先生にからんでくる人もいるわけです。要は、「すべてはひとつだ!みんな一体なのに、なんで、さようなら! と切り捨ててしまうのか!」と言うわけです。

ところが、こういった方々に対して、森島先生は一貫して、決して、妥協されませんでした。「続・如是我聞」の中に次のような五井先生のお言葉を見付けました。これは、まさに、森島先生の為さった行為の裏付けとなる教えではないかと思うのですが、森島先生、いかがでしょうか?

「調和するということは、相手の間違っていることをそのまま容認しておくことではない。誤ちを正さなければ、業を光りに照らし出して消さなければ、真実に相手と調和することはできない。」(「続・如是我聞-205-78頁」)

唯一会の天命がまっとうされますように

以上


11回目の投稿です
No.900 隠れ信者    1999/08/14 (土) 21:35 東京  
世界人類が平和でありますように

この掲示板をご覧になっている方の中には、世界平和の祈りだけではなかなか安心(あんじん)を得られないという人もいらっしゃるのではないかと思います。
そんな人達のために、私が日頃思っていることを2点ばかり述べさせていただきたいと思います。
(1)
まず、世界平和の祈りに対し確信が持てない人も、不信の念が残ったままでいいから、とにかく祈りの座に着くことが大事です。
ご存知のとおり、五井先生の教えとは行そのものの教えであります(「宗教問答」p160)。生涯をかけて一つの行法を説かれたわけです。したがって、世界平和の祈りは実際に行ってみないことには何の意味もないわけです。
行ってみて初めて心境に変化が生じ、世界平和の祈りに対する信が徐々に確立されてくるものです。世界平和の祈りに対する信念が確立されるのを待ってから祈るのでは、私達凡夫は永久に祈りに入れません。
(2)
矛盾したことを言うようで申し訳ないのですが、世界平和の祈りだけでは満足できない人は、並行していろいろな行法も自由にやったらいいと思うのです。悩むだけ時間の無駄です。
だいたい、私達は、自力行を始めいろいろなことを経験して、だんだんと世界平和の祈りに専念できるようになるのが普通だと思います。(一部の上根の人を除けば・・・)
前回の投稿でもちょっと書きましたが、私も最初の頃は世界平和を祈ってもなかなか満足できず、むしろ
「生きている念仏」をきっかけとして念仏を中心とした行を長く続けていました。
実は今でも、他力信仰を体得するには世界平和の祈りより念仏の方が早いと思っています。
世界平和の祈りの良さは意味が誰にでも分かることにあるのですが、最初のうちは逆にその意味にとらわれてしまうのです。その点、念仏はほとんど呪文のようなものですから、信仰が少しでもあれば誰でも無心になりやすいのです。
とにかく、私は、念仏という一つの経験を積むことによって他力信仰のコツをつかみ、やがて世界平和の祈りにも自然と集中、専念できるようになったのです。

では、皆さん、これからも地道にかつ楽観的に信仰の道をともに歩んでいきましょう。


12回目の投稿です
No.905 隠れ信者    1999/08/15 (日) 19:38 東京  
世界人類が平和でありますように

お盆のせいか土日にも関わらず投稿が少ないみたいなので、調子に乗って今日も書込みをさせていただきます。

五井先生の説かれた行法は実に単純で、かつ、愛と赦しに満ちた教えです。したがって私達は細かいことや難しいことをあれこれと考えなくても済んでしまうはずなのですが、最初はなかなかそうもいかないですね。原因はおそらく、守護の神霊への全托がよく分からないからなのです。

五井先生の行法を称して私達は単純に「世界平和の祈り」と呼んでいますが、この行法の土台にあるのが守護の神霊への全托です。これが少しずつできるようになると、「世界人類が平和でありますように」との祈り言も、五井先生がおっしゃるように、電気のスイッチを付ける感覚でできるようになります。例えば「どこに向かって祈るのか?」みたいなことは、いちいち考えなくても済むようになるのです。

守護の神霊への全托については森島先生の解説(No.519など)が分かりやすいのですが、私自身は、前回の投稿でも書いたように、念仏行を通して学ぶことができました。
そこで、今回は、日本が生んだ世界の至宝「妙好人」の語録を紹介します。「全托の達人」の言葉をいっしょに味わいましょう。

○自分の思いが一切駄目であった事に降参する。南無阿弥陀仏。
○私が嫌っていたそのものが、私のためであったとはおはずかしい、頭が上らん。南無阿弥陀仏。
○仏が仏の名を呼ぶ。南無阿弥陀仏。
○念仏の働きは面白いものである。お先真暗がりでありながら行きづまりなく、その時その時によって開けてくる。南無阿弥陀仏。
○理屈なしで自分がさがれば、解決がつく。南無阿弥陀仏。
○どこへも行かなくて、ここにいるがまま宝の山に変ることである。南無阿弥陀仏。
                 
                     以上「柳宗悦妙好人論集」岩波文庫P145より。


世界平和の祈りは唯一最高の祈りである#1
No.906 子羊    1999/08/15 (日) 22:10 茨城県  
世界人類が平和でありますように

日々の祈り 323ページより(「神は沈黙していない」より)
「大調和精神を阻害する自己の業想念と、地球世界の不調和な想念波動を浄め去らなければなりません。
 その方法は只一つ、祈りより他にはないのです。その祈りも世界平和の祈りより他の方法はないのであります。他の祈りの方法によっても、個人の救われはできるのですが、地球世界を取りまいている、人類の不調和な想念波動を浄め去ることはできません。
 地球世界の不調和が浄め去られない以上は、どうしてもその波動の影響をうけて、個人の心も大調和そのものにはなり得ないのです。(以下省略) 」

続・如是我聞 NO20より
「世界平和の祈りは大光明である。唯一つの避難所である。
祈りの中に入っていれば、何ものもおかすことはできない。ところが、おかされるんじゃない 
か、と思ってしまう。因縁があれば悪いことが出てくるのではないか、と不安に思ったりする。
折角、光明の中に入っていながら、想いの手を外に出してしまうのである。
 ああでもない、こうでもない、だめじゃないか、いいじゃないか、などと想いをゆるがして想
いの手をだすな。出したら、すぐ消えていく姿だナと思って手をひっこめろ。」
(以前一部はしょったものを、今回は、すべて転記しました)

森島先生、大変申し訳ございませんが、NO901との差し替えをお願いいたします


世界平和の祈りの素晴らしさ#1
No.907 子羊    1999/08/15 (日) 22:17 茨城県  
世界人類が平和でありますように

以下は、「真の幸福」よりの引用です

17ページより
「しかし、空(くう)になるということはとてもむずかしいことで、容易にできることではありません。
そこに消えてゆく姿、という言葉が生かされてきたのです。現在の人間の想念行為は、もうす
でに空の境地に遠い、物質世界の流れに把われきっていますので、急に空になろうとしても
とてもできるものではない。そこで、すべての人間の想念行為は、過去世つまり肉体人間とし
て生まれてきた遠い昔から今日に至るまでの、神の大きなみ心を離れて、物質世界の流れに
把われてしまった、誤った想念行為であって、真の心ではない。だから今現れてきたことはす
べて、肉体人間として神を離れ勝ちになっていた自分たちのものなのだから、その過去からの
想念行為の結果として現れてきた人間の運命を、すべて過去世の誤った想念行為として、現
れたら消えるのだからと、すべて消え去るものとして日々瞬々(にちにちしゅんしゅん)新しく、
愛の心、神と一つの正しい想いを自己の心にきざみこむようにすることによって、自己の運命
が神からくる正しい運命となってゆくのだ、という結論になったのです。そして、その一番よい
方法が、世界平和の祈りであるというのであります。」

46ページより
「戦争は悪い、軍拡はいけない、とお互いの国で思っていたとしても、現在の肉体人間の精神
状態の上からみて、先に軍備を縮小した方が有利になるとはいい切れません。却って軍備の
強い方が自国の言い分をつよめてくることでしょう。そこで核爆弾の実験も未だに止まず、軍縮
もなかなかできないことになっているのです。個人の問題でもこういうことはよくあります。そこで
私は肉体人間には何一つ大きな善いことはできないのだ、調和生活を築き上げることはできな
いのだ、ということを改めて思い定めて、すべての運命を生命の親である神様にお任せするつ
もりで、神様への感謝をしながら、人類の最大の希望である大調和世界実現の為の、世界平和
の祈りをつづけなさい、そうすることによって、神々の救いの力が強くなり、神と人間との一体化
によって、この地球界も調和してゆくことになるのですよ、といっているので、一にも二にも世界平
和の祈りを根底にして、日常生活をつづけてゆくことが現在の人間の最上の生き方だというので
あります。」
 
157ページより
「現今はもう過去の聖者たちが、すべて地球人類救済のために働き出さねば、取りかえしのつか
ぬ事態になってしまう程、地球人類の業は表面に浮かび出てきているのです。
 そうした聖者の働き場所が、世界平和の祈りによって代表される、救世の大光明の中なのであ
ります。現在はどんな願いにもまして、世界平和を念願しなければならない時代です。世界平和
を祈ること以上の祈りが一体何処にあるでありましょう。あらゆる人々が、先ず世界平和の祈りに
想いをむけ、それから個人個人の願いごとをしてもよいと思うのです。
 私の提唱し実行している世界平和の祈りは、個人の念願をそのまま含めての世界平和の祈りで
ありますので、個人と人類とが同時に平和を実現し得る祈りなのであります。」


祈りと念力は別のもの#1 
No.913 子羊    1999/08/16 (月) 22:10 茨城県  
世界人類が平和でありますように

祈りと念力の相違について、分かり易い文章を見つけましたので、紹介させていただきます。

 「人類の未来」205ページからの引用です
 
「私が昔から念力の恐怖ということを説いていますが、宗教をやっている人でも、祈りを念力を
混同して考えている人が多いのでありまして、教団側の話や出版物にも、祈りを念力と同じよう
に説いているところもかなりあるのです。
 例えば、必要な時にお金が入ったり、家が出来たりするのにはどうしたらよいか、という答の
中で、「もし百万円ほしいのなら、もうすでに百万円さずかったと思って、百万円さずかってあ
りがとうございますと、常に思いなさい。そうすれば念の力で百万円集ってくる」といったり、
家がほしいなら、自分の必要とする家の図面を書いて、「もうすでにこの家が自分にさずかって
いるのだ」と強く思いなさい、そうすれば心の力で家がさずかる、というように、念力を強めて、
念力によって、自己の欲するものを得る、という方法を教えているのです。そしてこの方法が
あたかも神への信仰であり、祈りでもあるような思い違いをさせてしまうのであります。
 これはとんでもないことなのです。念力はあく迄、肉体人間自身の自我でありまして、神への
信仰でも、神の援助でもありません。そういう方法によって自己の望みが叶ったとしても、それ
は信仰の勝利ではなく、我を通しただけでありまして、その場は得をしたように思いますが、一
生の間に得ることになっていた富を、一時の念力によって前借りしたようなもので、後になって
その分だけ運命の中で返済しなければならなくなります。
 そんな方法で富を得ることは、宗教の道でもなんでもなく、唯物論式の在り方に他なりません。
真実の神のみ心は、人間が肉体身を纏(まと)いながらも、その肉体身を超越して、神のみ心と
一つにつながり、神のみ心を、この地球界において、顕現(けんげん)し得ることなのであります。
 いくら、その場その時々に利益を得たようなことになっても、神のみ心とのつながりによって、
その結果があったのではなく、肉体人間の自我で得た成果では、ただ業生(ごうしょう)の中を
ぐるぐる廻りするだけで、なんの進化もありません。かえって業生世界の渦を濃くして、地球人類
滅亡の一役を買ってしまっているに過ぎません。」


世界平和の祈りは唯一最高の祈りである#2
No.914 子羊    1999/08/16 (月) 22:20 茨城県  
世界人類が平和でありますように

世界平和の祈りを、五井先生が、唯一と書いている文章をみつけましたので、紹介いたします。

以下は「人類の未来」からの引用です

209ページより
「人間は神のみ心において平等なのである。すべての人々が真の幸福を得るためには、
この地球世界に、不安や不調和の波があってはならぬ、と私たちは常に思っております。
そういうところに、国家と国家が、催眠術によるバラモン合戦でもはじめられてはたまりません。
 私どもは一人でも多く、この業生(ごうしょう)の渦の中から抜け出て、神のみ心の中で「世界
人類が平和でありますように」の祈り言を唱え、神の大光明を身心にあびながら、人々にその
光明を伝えてゆきたいものです。武器の争いも念力の争いもない、ひたすらなる平和の祈り
こそ、神のみ心をこの地球界に顕現する唯一の道と私は深く思っているのであります。」

210ページより
「是非とも、世界情勢の悪化を防ぐ、光明波動の宣布者として、貴方(あなた)も貴女(あなた)も、
真の祈りの生活を続けていって下さい。
 如何なる念力も、平和の祈りの大光明を組み敷くことはできません。念力には念力で対さず、
ひたすらなる平和の祈りによって、神々への感謝によって対して下さい。それがこれから盛んに
なるであろう念力合戦を超越してゆく唯一の方法なのです。(途中省略)
 これからは正に祈りなくしては生きてゆけない時代になってきそうです。真に神のみ心を知ら
ずにはおられない時代に到達してきている感じです。今日迄のような単なるお願い事ではなく、
真実、神と人間とが一つになって地球世界を進化させてゆく、そういう時代に今は一歩踏み出し
ているのであります。」

238ページより
「こんなところで、大上段に神の力など持ってこられては、どうにもならぬ、といってこられる人が
あるかも知れませんが、神とか神の力とかいうのは、ただ単に言葉だけのものではありません。
モーセが紅海を切り開いたり、イエスが盲の眼を明け、いざりを立たせたりしたように、如実に
現実世界に働きかける力なのです。
 相手を睡らせたり、自分の自由に行動させたりする、そういう相手の自由を抑える念力のよう
な力ではなく、こちらも相手も、共に平安になり幸せになる、そういう状態をつくり上げる力が神
の力なのです。その力は愛のひびき、調和のひびきなのであります。
その神の愛の力を、はっきりこの世に働かし得るのが、祈りなのです。祈りにつぐ祈りの行が、
神の力をこの世に充分に発揮し得る唯一の方法なのです。」


世界平和の祈りの素晴らしさ#2
No.942 青空    1999/08/22 (日) 20:33 茨城県  
世界人類が平和でありますように

「霊性の開発」より、世界平和の祈りの功徳について五井先生が言及されている箇所を抜粋しました。みなさん、参考になさってください。

79ページより
「本心と業想念の区別がはっきりついてくる、ということが、個人としてのこの祈り(世界平和の祈り)
での最大の効果なのです。
 本心は、常に生命そのもの、神仏そのものでゆるぎなきもの、業想念は、常にゆれ動き諸行無
常的なもので、現われては消え去ってゆくもの、こうしたことが、はっきりわかってくると、生老病死、
つまり、生きる苦しみ、老ゆる苦しみ、病む苦しみ、この四苦が、いつの間にか超越出来る迄に心
境が澄んでくるのです。
どんな不幸も苦しみも、現れれば消え去るもの、そして本心(神)は永劫に光り輝いているもの
、と思い定めている心境になり切れるように、知れぬ間になれてくるのです。
また、人類的には、世界平和の祈りによって、その人々の迷いの想念が、守護の神霊の光明に近
づいて、いちはやく消え去るので、神霊の光波がその想念の波を伝わって、地上界の浄めがしや
すくなり、天界から地上界に、光明波動が、多量に放射出来るようになるので、人類世界の業想念
の波を、その光明によって、天変地異や、戦争の災害に致らさずに、消し去ることができるように
なる。つまり、神愛が、地上界に、広範囲にとどきやすくなる、ということになるのであります。
 世界平和の祈りこそ、世界人類を救うと共に、個人個人をも救う、偉大なる祈りの方法なのであり
ます。」 

157ページより
「この世界の有様は、今にも破壊しそうな業想念行為の波の中にあるので、とても善い世界幸福
な世界だとは申せません。しかし、人間の本住の地である神界では、大調和の波、大光明の波の
平和そのものの世界がくりひろげられているのですから、その世界の姿をそのまま、真っ直ぐにこ
の世にうつし出せば、この世はたちまち大調和の世界になってしますのですが、現実はそのように
はまいりません。そこで、一度にそうしようとは思わないで、うまずたゆまず、一人一人が各自の守
護の神霊との交流を怠らずにつづけていれば、まずその人自体の運命人格が向上してきます。こ
れはかならずすなりますから、それを信じてやって下さい。その一番やさしくしかも広く人類的であ
るのが、世界平和の祈りなのです。世界平和の祈りをする時には、神界がそのまま、その人の身近
かに降りてきているのと同じなので、その人はその時神界の住者となっているのです。
 そしてその祈りをつづけていますと、自分ではそう深くやっているつもりでもないのに、心が安らか
になってきて、自分の運命に確信がもてるようになってくるのです。これは多くの人の体験ですから
間違いはないのです。」


世界平和の祈りは唯一最高の祈りである#3
No.943 青空    1999/08/22 (日) 20:36 茨城県  
世界人類が平和でありますように

以下は「霊性の開発」よりの抜粋です

73ページより
「私の説いている人類救済の方法は、実に簡易にして、効果的な方法なのであります。あまり
やさしくて、簡単な方法なので、そんなことで効果があるものか、と思われる人は、他にどのよ
うな素晴らしい方法があるのか、私に聞かせて頂きたいのであります。
 誰にでも出来る人類救済法、自己救済法は一体どのような方法なのでありましょう。
 それはたゆまざる“祈り”なのであります。世界平和の祈りなのであります。
 なんだ祈りなのか、という人があったら、その人は宗教を全く知らない人というべきなのでしょう。
 宗教者で祈りを説かぬ人は、まず皆無ではないかと思いますが、真実の祈りを教えている人が
どれ程あるかは非常な疑問なのであります。
 まず真実の祈りを根本に生活を行じてゆかぬ限り、その人も、その国も、世界も遂いには滅び
てしまうのです。真実の祈りは、人類を救う唯一の鍵なのであります。」


有り難きかな「想念波動変換原理」
No.968 ケント    1999/08/24 (火) 20:26    
世界人類が平和でありますように

いささかでしゃばりすぎのケントです。「神様、お願いします」の秘法による想念波動変換原理があまりに有り難くて、有難さが私の心からまだ抜けません。雷も止んで今から祈るとこなのですが、また、過去ログから、「神様、お願いします」の言葉を検索していたら、これは紹介したいという森島先生の書き込みが出てきましたので、紹介させてください。

(私は過去ログを全部テキスト形式で取っているので、記憶を辿らなくても、すぐ読みたい箇所を検索できます。お姫さんという人に特にこの秘法が授けられているんですよね。)

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お姫さまは、祈りのコツをしっかりつかんだね。おめでとう!
No.256 森島恒吉    1999/04/12 (月) 22:06 富士宮市
世界人類が平和でありますように

(途中略)

お姫さまは、私の教えた秘法をしっかりと理解してくれて、うれしく思います。
私はこんな不思議な体験をしたことがあるんです。五井先生は「神さま、ありがとうございます」の一言のお祈りで私は悟った、とよくおっしゃっていたんです。それで、私は五井先生の真似をして、朝から夜まで、毎日「神さま、ありがとうございます。神さま、ありがとうございます…」と繰り返し唱えていたんです。それを数年間続けたんですけど、いつまでたっても、五井先生のように悟れないんです。感謝の気持ちも、少しも湧いてこないんです。「ありがとうございます」と、口先では感謝を唱えているんだけど、形式的な行になってしまって、心の底から感謝の気持ちが湧いてはこないんですね。それで、私は、「神さま、ありがとうございます」の感謝行をやめてしまったんです。

それから、しばらくして五井先生のお話の中に「神さま、お願いします」という言葉が頻繁に出てくるのを発見したんです。「五井先生は、お願い事と真実の祈りは違う、と説きながら、なあんだ、五井先生ご自身では、神さまお願いします、と祈っていたんだ!」と新しい発見をしたのです。

それでね、今度は「神さま、お願いします。神さま、お願いします…」と、この言葉ばかりを繰り返し唱える行を始めたんです。すると、数日たってからだったかな、不思議なことに、私の口が勝手にしゃべり始めたんです。私の意識とは関係なく、しゃべり始めたんです。不思議でしょう。その時の私の口から自然に出てきた言葉とは、どんな言葉だった、と思います?

その言葉は「神さま、ありがとうございます!」という言葉だったんです。

私はこのとき、全身が震えるほど感動したんです。「そうか!そうだったのか!…」と私は、その時、神我一体になる簡単な秘訣を、しっかりとつかんだのです。この時の体験を、私は「想念波動変換原理」と名付けて、後で教えるようになったんです。五井先生は、この原理を体験されていて、「想念の転換」とか「想念の変換」という教えを説いておられたのです。自分の意思力で自分の想念を変換するのではなくて、神のみ心の中で想念が自動的に変換されるのです。ですから、肉体人間としては、すべての想念を、神のみ心の中にひたすら投入してゆけばいいんです。そうすると、感謝しようと思わなくても、感謝の祈りが自然に出てくるんです。これが真実の感謝なんです。

それからも、形式的な感謝行を一切やめてネ、「神さま、お願いします」と、神さまへの全託行だけを繰り返していたんです。すると、「神さま、ありがとうございます」という感謝の祈りが湧いてくるでしょう。そうしているうちに、気がついたら「神さま、お願いします」という言葉を唱える必要がなくなってしまって、「神さま、ありがとうございます」の言葉だけが、口から出てくるようになったんです。つまり、五井先生と同じ心境になってしまったんです。その瞬間に、私はすべてを悟ってしまったのです。

そうした体験から、「守護霊さま、お願いします」という祈り言を教えてあげたんですよ。簡単だけど、この祈り言を続けてゆけば、誰でもあなたも、もちろん、五井先生のように悟れるんです。そうすると、五井先生の教えがよく理解できてきて、「世界平和の祈り」の素晴らしさも、よく判ってくるんです。

----------------------------------------------------

森島先生、ありがとうございます。

世界人類が平和でありますように


有り難いです 有り難いです 有り難いです
No.995 ケント    1999/08/27 (金) 13:04    
世界人類が平和でありますように

森島先生、お褒めの言葉を頂き、ありがとうございます。今後も、引き続き、精進していきます。ありがとうございます。(あ、これも自然に出てきました。)

有り難いです 有り難いです 有り難いです
有り難いがダダダッダダダーと押し寄せてきています。なぜ、こんなに有り難いのか分かりません。

[むくちゃんへ]
むくちゃんの私に好意的な書き込みに引きずられて、一瞬起こった想念波動の変換の体験を書いてしまいました。私に書き込む勇気を与えて頂いてありがとうございます。あなた様の天命がまっとうされますように。

9月23日頃に起きた現象は、本当に、眠りに入る前のいっとき、口から出てきたのです。今までも言おうとして「神さま、ありがとうございます」と言ったことは、何度もありましたが、あの時の場合は、勝手に口が動いたという感じでした。

それゆえ、もう少し、再現性を確認する必要があると考えていました。ただ、翌日以後に考えてみて、確かに、あの時、口が勝手に動いて、「神さま、ありがとございます」と出てきて、そして、自分は驚いて微笑んだということは確かに記憶に残っておりましたので、むくちゃんの書き込みに引きずられて、発表させて頂きました。森島先生に認めて頂かなかったなら、この体験は否定しようとも考えていました。認めて頂いたので、有り難くて堪りません。今後も引き続き、正しく精進します。まっしぐらに、、、

皆様の天命が完うされますように

PS ANANさん、お兄さんの同僚の方たいへんですね。私も、今晩、集中して日本人拉致関係者の天命を祈るようにさせて頂きます。



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2003.6.18
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  心よりお祈りさせていただきます。

  世界人類が平和でありますように
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