森島恒吉先生の法話集(過去ログ)


偉い人ほど謙虚ですね
No.803 森島恒吉    1999/08/06 (金) 01:05 富士宮市  
世界人類が平和でありますように

[かめたろうさんからのご質問]

>人間は、いつまでも謙虚でなくてはなりません。
>人間は、どんなに偉くなっても、慢心な想いを持ってはなりません。
>人間は、自分のしてしまった過ちは直さなければなりません。

森島先生は上記の3か条に関して、常日頃どのように心がけ振舞われておいでなのでしょう?
具体的にお答え下さい。

[お答え]

具体的にですか。そうですね〜。五井先生からの影響が、もちろん一番多いですけれども、そのほかに日
本画家の東山魁夷先生、合気道の藤平光一先生、剛柔流空手宗家の山口剛玄先生、自己啓発の桑名一央先
生、高校の時に教えて下さった先生等、先生方の謙虚な態度を見て、私も真似しようと思いましたね。

五井先生がよくおっしゃっていたのは、横柄な人というのは、ふんぞりかえって、お辞儀をしないんです
ね。五井先生は、会員さんと挨拶される時には、会員さんよりも頭を低くしてお辞儀されていましたよ。
まさに「みのるほど、こうべを垂れる稲穂かな」ですね。天皇陛下に直接お目にかかったときも、非常に
深々と頭を下げていらっしゃったので、「ああ、謙虚な方だなあ」と拝見しました。ですから、私も相手
よりも深くお辞儀をしようと心がけています。

それから、ある人が「五井先生のために、私は何をしたらよろしいでしょうか?」と尋ねた人がいるんで
す。そうしたら、「そこにある皆さんの靴をそろえてあげて下さい」とお答えになったんです。それを聞
いてから、私は聖ヶ丘道場の玄関で、皆さんの靴が乱れていたら、進んで皆さんの靴を揃えていました。

駅の階段で、体の不自由なお年寄りが、荷物を持って上がろうとしているのを見かけたら、私はすぐにそ
のお年寄りに駆け寄って、階段の上まで一緒に荷物を持って行ってあげるように心がけています。また、
電車の中で、目の前にお年寄りが立ったら、よほど疲れていないかぎり、席を譲るようにしています。

道端で酔っぱらって倒れている人がいたら、私は近くの交番に寄って、「あの人を助けてあげて下さい」
と一声かけて行きます。また、自動車にひかれた猫を見たときも、交番にかけこんで、「どうか、あの猫
をあのままにしないで、後始末をしてあげて下さい」と頼むように心がけています。

高校の時の国語の先生は、大学の講師もなさっていて、「美しい日本語の話し方」というセミナーを開い
ていたんです。その講座に参加しようとしたんですけれど、場所が見つからずに、参加できなかったんで
す。翌日、その先生に「道に迷って講座に参加できずに申し訳ございませんでした」とお詫びしたら、
「それはぼくが悪かった」と先生がおっしゃったんです。その時、「私が悪いのに、それをご自分のせい
にするなんて、この先生は偉いなあ」と尊敬しました。ですから、たとえば自分が道順を教えたことで、
相手が間違えた時には、相手を責めずに、「私の教え方が悪かった」と詫びるようにしております。

今、思い出せるのは、そんなところです。本で読むよりも、偉い人の行為を見て学ぶことが多いですね。
皆さんの天命が完うされますように


現実から理想へと歩もう
No.804 森島恒吉    1999/08/06 (金) 01:22 富士宮市  
世界人類が平和でありますように

[高橋荘介さんからのご質問]
森島先生 お忙しい中 大変申し訳ありません。
お話戴きました、NO,740 と NO,783 との整合性につきまして御質問申し上げます。
一見あたかも正反対の事をおっしゃっておられるようにも お見受けしてしまうのですが ・・
失礼のほどは 心からお詫び申し上げます。どうかご解説戴けますことをお願い申し上げます。

NO,740
>ですから、どんなに真理の言葉に深く感動しても、真理そのものを行為することは、
>ふつうの人々にとりましては、難しいどころではなく、ほとんど不可能な行為と
>言ってよいのです。
>しかし、だからといって「真理はどうせ実行できないのだから、欲望のままに生きよう」
>と業に妥協した生き方をしたり、神の子になる、という理想を失ってはいけないのです。
>けっして、私たちは理想を捨ててはなりません。
>もし、現実ばかりを見て、理想を捨てたら、私たちの地球は滅びることになるからです。

>そこで私たちは、どのような生き方をしたらよいかと申しますと、高い真理の言葉は、
>理想として置いておいて、高い真理の言葉を無理にすぐに実行しようとしないで、
>「できることはできる、できないことはできない」と正直に自分の能力を見つめて、
>理想に向かって一歩一歩自分にできる範囲で、理想への道を歩んで行ったらよいのです。

NO,783
>交際している相手の思想や考え方や常識を変える、ということは、大変難しいもので、
>一生努力しても相手の思想を、自分と同じ思想に変えることは難しいのです。
>ですから、ケンカばかりして争っている夫婦は、さっさと離婚して、自分にあった異性を
>見つけたほうが良いのです。

>交際相手の友人も、自分とは合わないと思ったら、やはりさっさと別れて、
>自分の気に合った友人を探すことです。
………………………………………………………………………………………………………

[お答え]
「私が正反対の事を言っている」とのことですが、どこが正反対なのか、私にはわかりません。二つのお
話が矛盾しているようには、私には思えないのですが。

理想をすぐに現実に実行するのは難しいものです。無理に理想を実現しようとすると、苦しむことが多い
のです。かといって、理想を失ってはいけません。そこで、現実にできることをやってゆき、お祈りをす
ることによって、マイナス面を守護の神霊に浄めていただきながら、少しずつ理想へと向かってゆく、と
いう生き方が、現実と理想を無理なく結ぶ良い生き方であろうと、私は思います。

皆さんの天命が完うされますように


「世界平和の祈りは唯一最高の祈りである」と宣言してゆきます
No.805 森島恒吉    1999/08/06 (金) 02:01 富士宮市  
世界人類が平和でありますように

BnQさん、貴重なご提言をいただき、ありがとうございます。
BnQさんは、「世界平和の祈り」について「最高、唯一」という相対的な言葉よりも、「包容的、普遍
的」という言葉のほうが良いのではないか、とご提言されていましたが、「最高、唯一」という言葉には
たしかにご指摘のような欠点はありますが、それ以上に長所がありますし、五井先生が教えて下さったこ
とでもありますから、「世界平和の祈りは唯一最高の祈りである」という教えは、やはり今後も、私は使
わせていただくつもりです。

白光真宏会、WPPS(ワールドピースプレイヤーソサエティ)、五井平和財団、唯一会の各々の活動比
較については、唯一会のホームページに詳しく載っておりますから、それをご参照下さい。

白光真宏会では、「世界平和の祈り」の中に、「守護霊、守護神への感謝の祈り」がありますが、固有名
詞ではないにもかかわらず、「一つの宗教色を感じさせる」と言われるのでその部分を省き、また「五井
先生、ありがとうございます」という五井先生への感謝の祈りも、固有名詞のために「個人崇拝となる」
という理由で省いて、「世界人類が平和でありますように」だけの祈りを普及するのが、ニューヨークに
本部をおくWPPSと、日本の五井平和財団の在り方です。

あなたのおっしゃるように、思想宗教を超えて、誰もが参加できる「祈りによる世界平和運動」は、WP
PSや五井平和財団の在り方になると思います。「世界人類が平和でありますように」という合言葉によ
って、人類の心は一つに結ばれるのです。しかし、この普遍的な祈りでさえも、まだ一宗派の祈りとして
見ている人も数多く存在するのです。WPPSも五井平和財団も、「世界人類が平和でありますように」
を唯一の祈りの行としているからです。むずかしいものです。

そもそも、私がなぜ唯一会を創立したかと申しますと、「祈りによる世界平和運動」のWPPSや、五井
平和財団と同じような組織を創ろう、と思ったのではないのです。白光真宏会の二代目会長である昌美先
生の教えが、1990年を境にして、初代の五井先生の教えとまったく異なる教えとなったことを鑑みて、五
井先生の教義である「消えてゆく姿で世界平和の祈り」の教えを、正しく継承した宗教団体を、新たに創
る必要があると思い立って、唯一会という組織を結成したのです。

ソサエティのような表現を用いて救われる人々は、非常に多いと思います。そして同時に、唯一会のよう
な教え方で救われる人々も、少なからず存在するにちがいない、と私は思っております。

皆さんの天命が完うされますように


「唯一」の長所は「あいまいさ」をなくす力があることです。
No.807 森島恒吉    1999/08/06 (金) 05:55 富士宮市  
世界人類が平和でありますように

かめたろうさん、ご質問をありがとうございます。
あなたも30年以上も、五井先生のみ教えを学んでいらっしゃるのですか。それでは、もうすでに、あなた
なりに五井先生のみ教えについて強固な信念がおありでしょう。

[ご質問]
ここでのべていらっしゃる"それ以上の長所"とは具体的にどのようなものでしょう?

[お答え]
「世界平和の祈りは唯一最高の祈りである」というのは、唯一最高という言葉には、欠点としては排他的
な意味が含まれているものの、長所としては、「あいまいさ」を無くす力があります。たとえば、現在の
白光真宏会には、「世界平和の祈り」以外に、これらの多くの行法があります。

(1)消えてゆく姿の行(2)「悪は無い」と自己否定する行(3)願望成就の行
(4)光明思想徹底行(5)地球世界感謝行(6)我即神也(印)の行
(7)人類即神也(印)の行(8)宇宙神マンダラ刻印の行(9)ピラミッド神事(内省の行)
(10)簡略印(正式印)による世界各国の平和の祈りの行
(11)講師の浄めの印(12)宇宙究極の浄めの印(13)宇宙究極の真理を司る印
(14)宇宙の創造と進化を司る印(15)宇宙の大調和を司る印  

これらの行の中で、いったいどれが究極の唯一最高の行なのか、昌美先生のご説明ではわかりません。
私はこれらを含めた行の中で「世界平和の祈り」が唯一最高の究極の祈りであると明言しているのです。

あなたのおっしゃるように、私は自分の主張を自分の言葉だけで書けば短くて簡単なのですが、過去にも
何度もお話ししているように、「それは五井先生がおっしゃったのですか」と度々聞かれるので、そうい
う人のために親切で、「これは五井先生が教えて下さった言葉です」と付け加えているだけです。

皆さんの天命が完うされますように


「世界平和の祈り」に徹すること
No.811 森島恒吉    1999/08/06 (金) 09:21 富士宮市  
世界人類が平和でありますように

子羊さんからのご質問にお答えします。

[ご質問1]

「…我らを嘗試(こころみ)に遇(あわ)せず、悪より救い出し給え」
主の祈りの中で、神様に、「神様の試みにあわせないで、悪より救ってください」と、祈っているので
すね。これは、いったい、どのような意味なのでしょうか?神様は、人間を、試みにあわせるのですか?
私には、「(試みにあうと、私は合格できませんので)私を、試みにあわせないで、(悪に落ちそうにな
ったら)どうか、悪より救い出して、ください。(悪へ落とすようは試みは、しないでください)」と、
いうようなひびきに、感じられるのですが、本当は、どのような、意味なのでしょうか?

[お答え1]

「我らを嘗試(こころみ)に遇(あわ)せず、悪より救い出し給え」の意味は、あなたのその解釈でよろ
しいのです。あなたは、良いところに気づきましたね。聖書には、「こころみ」という言葉が、たくさん
出てきます。神さまは、特に重要な天命を持った人間には、その人間の心境を高めるために、試みを与え
るときがあるのです。聖書には、サタン(悪魔)がイエスをそそのかす場面が出てきますが、人類を救う
という立場の人間をつくろうという時には、必ずといってよいくらい、こうした試みがあって、この試み
に合格した人が、霊覚者として人類の救いに立つのです。

[ご質問2]

神様が、私達を、試みにあわせるとすると、私たちは、「神様の試み」に対して、どのような態度でのぞ
めば、よろしいのでしょうか?なんでもかんでも、"神様がしたこと"と、考えてしまったら、きっと、
本当の神様ではなくて、幽界あたりの変な神様が、付いてしまうのでしょうね。しかし、悪へ落ちそうに
なったら、「これは、神様の試みだ」と考えられれば、悪へ落ちるのを、ずいぶん、防げるような、気が
します。

[お答え2]

神さまの試みに合格するには、簡単なんです。神さまが、どんな言葉を伝えてきても、あるいは逆境にあ
わせきても、「世界人類が平和でありますように、神さま、ありがとうございます」と祈りつづければよ
いのです。簡単なんですが、実際にはそう簡単ではないのは、肉体頭脳で答えようとするからなんです。
肉体頭脳で答えようとしないで、ひたすら祈りつづければ、神さまの試みに合格できるのです。

[ご質問3]

神様の試みに、合格すれば、心境が(急に)上がることが、あるのですか?五井先生は、「天と地をつな
ぐ者」の中で、神様の試みを、全てクリアした後、神様(守護神)に、神我一体の境地を、いただいたの
ですね。私たちも、神様の試みを、一つ一つクリアしていけば、少しずつ、心境が、上昇するのでしょう
か?逆に考えると、神様の試みを、クリアできなければ、心境は、上がらないのですか?

[お答え3]

神さまの試みに合格すると、心境が急に上がります。神さまの試みを、一つ一つクリアしてゆけば、私た
ちの心境も確実に上昇してゆきます。逆に、神さまの試みをクリアできないと、同じ試験問題を何十年で
も何百年でも、くりかえしやらされるのです。そこで、心境が止まってしまって、上がらないわけです。
たとえば、念力に酔いしれたり、真理の言葉に把われて偽善者になってしまうと、いつまでもその心境か
ら上がれないのです。「世界平和の祈り」を祈りつづけてゆけば、どんな試みも合格できるのですが、簡
単そうに見えて簡単でないのは、途中でほとんどの人が、「世界平和の祈り」を祈るのをやめてしまうか
らです。何があっても、「世界人類が平和でありますように」と祈り、どんなことを聞いても「世界人類
が平和でありますように」と祈り、「世界人類が平和でありますように」の祈りから外れないことです。

あなたの天命が完うされますように


嫌な相手も「世界平和の祈り」の人類の中に入っている
No.815 森島恒吉    1999/08/06 (金) 12:47 富士宮市  
世界人類が平和でありますように

[高橋荘介さんのご質問]
下記の部分には "少しずつ理想へ向かって行く"という態度と言うよりも、気に入らないものは ス

ーーッと切り捨ててしまえ というような感じを受けるのでありますが ・・・・
>ですから、ケンカばかりして争っている夫婦は、さっさと離婚して、自分にあった異性を
>見つけたほうが良いのです。
>交際相手の友人も、自分とは合わないと思ったら、やはりさっさと別れて、
>自分の気に合った友人を探すことです。
さっさと別れてしまった後、どのようにして "少しずつ理想に向かって行く"のでありましょうか?

[お答え]
「夫婦はお互いを神の子としておがみなさい」と理想を説いたところで、刃物を持ち出して夫婦ケンカを
するような修羅場になる前に、現実問題として、業を積み重ねる前に、さっさと離婚して、自分に適当な
配偶者を改めて探したほうがよいのです。過去世の因縁によっては、何回も離婚をしてようやく幸せな結
婚ができるという運命の人もおりますし、二組の夫婦が不幸せな結婚を解消して、自分に適当な配偶者と
再婚すれば、4人が幸せになれるのですから、そのほうが良いと思うのです。

「嫌いな相手を好きになる」ということは理想ですが、そんなに簡単ではないことを、私はよく知ってお
ります。特に暴力をふるったり、ストーカーや、暴言を吐く相手とは、スパッと関係を切り捨てて、自分
に合った新しい友人や交際相手を求めたほうがよいと思います。しかし、それだけでは、誰でもする、あ
たりまえのことです。私たちは、別れた人のために、相手の天命の完うを祈り、守護の神霊にお互いの因
縁を浄めていただき、「世界平和の祈り」を祈ることが必要です。

悪因縁のある者同士は、顔を合わせただけで嫌になるもので、その場合は、空間的な距離をおいて相手か
ら離れて、「世界平和の祈り」を祈れば、世界人類の中に、その嫌いな人間も入っているわけですから、
不愉快な想いを感じないで、しかも、知らないうちに、その嫌な人間の幸せを祈っていることになります
から、いつしか悪因縁が消えると同時に、すべての人と仲良くなれる日がくるのです。

このように、理想をすぐに現実に実行しようとしないで、嫌な人は嫌な人と認めて、「世界平和の祈り」
によって、少しずつ少しずつ理想に向かってゆくほうが、お互いにあまり苦しまず嫌な想いをしないで、
理想に近づいてゆくことができる、と私は思います。

あなたの天命が完うされますように


かめたろうさんへ
No.817 森島恒吉    1999/08/06 (金) 13:23 富士宮市  
世界人類が平和でありますように

[かめたろうさんからのご質問]

森島先生は
"「あいまいさ」をなくす"ということ、
"唯一最高の究極のものである"ということに重きをおいていらっしゃるように思われますが、
それは何故なのでありましょうか?

五井先生は、唯一の救世主が世界を救うのではなく私達一人一人が救世主にならなくては世界は救われな
いとおっしゃっておいででした。そしてそれは実現するのだということも、私はこの耳で、聖ケ丘などで
直接お聴きしております。森島先生におかれましても、それは同じでありましょう。

すべての人々が救世主になるのに、何故"唯一最高の究極のもの"が必要なのでしょう? 私の知る限り
において、五井先生は"唯一最高で究極である"ことに、こだわりをお持ちではなかったと存じます。そ
のような五井先生のみ教えがあったとするなら、具体的にどのようなものか(出典など)お教えくださ
い。

[かめたろうさんへのお答え]

「世界平和の祈りは唯一最高の祈りである」ということに重きをおいているのは、何度も申しております
ように、「世界平和の祈り」は唯一最高の祈りであるからです。

次の「出典」のご質問は、あなたが、真実に私に学ぼうという姿勢があるならば、私も教えますが、あな
たの文章を最初から読んでおりますと、どうも純粋でないものを感じます。

「失礼ながら私見を申し上げれば、優劣、格差、差別のような相対的な発想、人と人との間に垣根を生じ
させる、差異を認めるようなものからはおよそ離れたところに、むしろそのような小さな視野ではなく、
もっと大きな視野に立ったところに、五井先生のみ教えはあるものと思っております」というあなたのお
考えを主張なさりたいのでしょう。

あなたのご意見は、ご意見として拝読しましたが、私から学ぶつもりのない人に、これ以上、教える気に
はなれません。あなたは30年も五井先生のみ教えを学んでいて、私に教えるほどの人なのですから、私に
学ぶ必要はありません。出典については、ご自分で五井先生のご本を読み直し、お探し下さい。

あなたの天命が完うされますように


五井先生のご本を読み直して下さい
No.818 森島恒吉    1999/08/06 (金) 13:28 富士宮市  
世界人類が平和でありますように

[かめたろうさんのコメント]

また出典に関して申し上げますれば、五井先生のご著書やご法話は、手にすることの出来るものは全て
ふれさせていただいておりますけれども、森島先生のおっしゃるような意味で、五井先生がお教え下さっ
ているものは、今まで一度として拝見したことも、伺ったこともございません。
ここで五井先生の名のもとにお話をされる以上、(森島先生のお考えとしてお話されるのであれば、私が
とやかく申し上げることは何もございません。)出典なりをあきらかにされるのが、我々五井先生に今生
でめぐり合わせていただけたもののつとめでありましょう。

[お答え]
五井先生のご本を、読み直して下さい。ちゃんと書いてあります。さようなら。

あなたの天命が完うされますように


宗教辞典を作ってくださいね
No.820 森島恒吉    1999/08/06 (金) 15:15 富士宮市  
世界人類が平和でありますように

[ソレイユさんのコメント1]

元々人間とは神界、霊界、幽界、肉体界に時間や因縁因果を超えて(同時に)存在しているものである。

[私の補足1]

因縁因果の世界とは、肉体界・幽界・霊界の下層の三界の世界をいいます。霊界の上層からは、光明の本
来因果だけで、業の因縁因果の波動はありません。守護霊は、超能力を持っていて、その三界を超えて自
由に行き来できるのです。人間は、神界、霊界、幽界、肉体界に同時に生きているのは、その通りなので
す。そして、元々は、人間は、因縁因果を超えて生きることができるのですけれど、現実には業想念の波
動にさまたげられて、因縁因果を超えられなくなってしまっているのです。

[ソレイユさんのコメント2]

守護霊様、守護神様に感謝することは(思いを寄せることは)神界へ一直線に橋を渡すことなり、完全な
る人間への一番の近道となるのである。

[私の補足2]

その通りです。守護霊さま、守護神さまに感謝することによって、人間は神の分霊の姿を完全に顕現でき
るようになっているのです。守護霊さま、守護神さま、を無視して、人間は神性を顕現できないのです。

[ソレイユさんのコメント3]

以上が"守護霊様・守護神様・五井先生ありがとうございます"という祈り言葉と、"消え去る姿"の私
なりの概念です。

[私の補足3]

感謝の祈りの部分は、正しいですけれども、「消えてゆく姿」の教えは、そんなに浅いものではありませ
んよ。「消えてゆく姿」の教えは、もっと深い深い意味があるのです。五井先生の本を、もっと読まない
とね。(^_^)

[ソレイユさんの質問]

よく五井先生が魂魄・分霊魂という存在を、ご講話の中で説いておりましたが、これらはどのような働き
をもっているのかも、簡単に教えていただけたら幸いです。

[私のお答え]

それについては、「神と人間」に詳しく載っています。霊(れい)・魂(こん)・魄(ぱく)というの
は、それぞれ霊界・幽界・肉体界の人間の精神(心)を表現した言い方なのです。

あなたの天命が完うされますように


あなたはあなたのやり方で良いのです
No.827 森島恒吉    1999/08/06 (金) 17:55 富士宮市  
世界人類が平和でありますように

高橋さん、ありがとうございます。高橋さんには、前にも申し上げましたが、あなたには、あなたの納得
する、あなたのお好きなやり方で、霊性開発をなされば良いのです。但し、高橋さんには、簡単にできる
ことであっても、ほかの人には、難しいことがあるのです。それを理解してあげて下さい。高橋さんに、
反対しているわけじゃないんですよ。高橋さんは、ご立派なんです。私は、いつも凡夫の立場にたって、
やさしい方法を説くことに努めているのです。

[高橋荘介さんのコメント]

"嫌な人は嫌な人と認める"という事は、『あの人は嫌な人なのだ』と決めつける事ではない、と思うの
であります。あくまでも "自分が" その人のことを嫌っている、嫌な人だと思っている、ということ
なのではないでしょうか? つまり自分が、その人の存在というものを許せない、受け入れられない状態
なのである、という事だと思うのであります。どんなに我侭な人、身勝手な人、理不尽な人がいたとして
も、自分がその人の存在によって悩み、苦しむということであるならば、それは間違い無く、自分の心の
問題だと思うのであります。だから、嫌だから別れる、縁を切るということよりも、まず自分の中の許せ
ない気持ち、その人に対する怒りや、拒絶する思いこそを手放して浄化してしまわなければ、同じような
人や状況が、後から後から、際限無く現われて来る、と思うのであります。

[私のお答え]

そういう宗教観もあります。それは決して間違いではありません。あなたが、そのやり方で納得されてい
るのでしたら、それをなさったら良いと思います。すべてを自分の責任とするわけですね。それは大変立
派なやり方です。しかし、あなたにはできても、凡夫の私には、そうした方法は、とてもできません。

私の場合には、嫌な人と別れず、嫌な人と縁を切らないと、いつまでも同じような状況が、後から後から
際限なく続きます。嫌な人は嫌な人と認め、赦せない人は赦せない人と認め、嫌な人とは別れ、赦せない
人とは別れることによって、よけいな苦しみ悩みから解放されます。そして私は、嫌な人のため、そして
赦せない人のために、「世界平和の祈り」を祈っているのです。もちろん、これはご参考までに皆さんに
私のやり方を話しているのでありまして、あなたはあなたのお好きなやり方でなさったら良いのです。

あなたの天命が完うされますように


「世界人類が平和でありますように」と祈ることは勇気なのだ!
No.840 森島恒吉    1999/08/07 (土) 05:06 富士宮市  
世界人類が平和でありますように

晶さん、ありがとうございます。(^_^) 晶さんは、そうやってご自分で、五井先生の「老子講義」を読
んで、「唯一」とか「最高」という表現があるかどうか、探しましたね。そうしたら、やはり、その中で
も幾つかあったでしょう。自分でそうやって事実を調べるのが、それがふつうの常識をわきまわえた人で
すよね。威張っているわけじゃなくてね、それが私に対する礼儀というものですよネ。

それなのにですよ。古い人も新しい人もいたけど、私が、はねつけた人は、みんな共通して傲慢なんです
よ。「私は五井先生につながってから30年以上たつけど、五井先生がそのようなことを書いたのを私は
知らない」なんて、馬鹿なことを言っている。30年も、いったい何をやっているんだ、バカヤローと言
いたいよ、まったく。古くたってちっとも自慢になんないよ。五井先生の本をろくに読んでいないんだか
ら。一回や二回読んだくらいで、読んだとは言うな、と言うんだ。それで、もう五井先生のすべてがわか
った顔して、読み直しもしないで、「どこに書いてあるのか、出典を書き出せ」と私に偉そうに命令して
いる。まったくどうしようもない、馬鹿だね、あれは。あんな傲慢な人間は、今生では、救われない。

結局、あの人たちは、私が昌美先生の教えについて批判するのを、今か今かと待ち構えていて、私が昌美
先生の教えについて批判したら、ここぞとばかり、攻撃してくるんです。敵が欲しくて欲しくてたまらな
い。「世界平和の祈り」は、敵がいませんね。ところが若い人でもとしをとった人でも、敵がいることに
よって、敵を作ることによって、元気を出す人がいるんです。敵がいないと、元気がでない。それは真実
の勇気ではないのだけれど、とにかくそういう性癖の人がいる。その人たちにとっては、昌美先生の敵の
ように見える私は、公認でいじめることのできるおいしい敵であるんです。ほんとは敵ではなく、敵どこ
ろか、ほんとは昌美先生を助ける天使なのにね。それがわからない。それは肉体頭脳の浅知恵で判断して
いるからなんです。また、「世界平和の祈り」の発展を業波動が邪魔している姿でもあるのです。

五井先生の教えをたいして知りもせず、知ったかぶりで、私のことを悪く言った人たちは、後で後悔する
よ。「なんて馬鹿なことを森島先生に言ってしまったんだろう」ってね。自分の高慢さに恥ずかしくなる
と思います。「世界平和の祈り」を侮辱する者は、五井先生を侮辱し、「世界平和の祈り」を授けて下さ
った大神さまを侮辱するわけなんです。私だけを侮辱しているのではない。彼らは大変な罪を知らずにお
かしてしまっている。だから、これ以上、悪業を積ませないように、私は彼らを切り離したのです。

この世の中には、いろんな多種多様な考え方や意見があってもいい。ところが、自分の意見が正しいから
といって、相手に自分の意見を押しつけてはいけないのです。相手が納得していなかったら、それ以上押
しつけてはいけない。彼らに共通して言えるのは、彼らの思想を、私が嫌がっているのに、無理やり私に
強制的に押しつけようとしてきたことにも、縁を切らざるをえない事情があったのです。

「世界平和の祈り」を単独でやろうと、他の行法を組み合わせてやろうと、それは各自の自由じゃありま
せんか。私たちは、五井先生から教えていただいたように、「世界平和の祈り」だけを単純に行じたいの
です。「バニラのアイスクリームだけでいいです」と言ってるのに、お店の人が、いろんなトッピングを
かけようとしてくるようなものね。私は、何度でもこう言っている。「我即神也だろうと人類即神也だろ
うと、宇宙神マンダラだろうと、ご自由にやりたいだけ、おやりなさい。その代わり、世界平和の祈りを
祈っている私たちを邪魔しないでくれ」と。私たちは、何よりも「世界平和の祈り」を祈りたいのです。
それを、なんで余計なことをやらせようと、邪魔をしてくるのだ、と。「無限なる寛容」と言いながら、
彼ら自身が寛容ではない。昌美先生の言う通りやらない私たちを、寛容の精神で包みこめないのです。

だからね、彼らは神の子ではなくて、いまだ凡夫だと言うの。「私は神だ」と口先ばかりで、実際の行な
いは、神の子どころか、凡夫丸出しでしょ。それを自分でも知らないのだから、神どころか、偽善者その
ものなのです。「世界平和の祈り」だけを祈っていれば、自然な素直な良い人になるのに、「世界平和の
祈り」よりも、はるかに下の下の行ばかりやっているから、偽善者ばかりになって、人格的に変な人ばか
りができあがるんです。彼らはその典型ですね。老子の「無棄人」でいえば、それを教えてくれている。

広島の原爆ドームの横で、WPPC広島の人たちが、「世界人類が平和でありますように」と祈り、世界
各国の平和を祈っていました。それを見ていて、この祈り言は、素朴で純粋で飾りっ気がなくて自然で、
人類愛の祈りを素直に表現している素晴らしい祈り言であると、誰しも改めて思いましたね。

「世界人類が平和でありますように」というこの祈り言から、人類の心は一つに結ばれ、神と人とが一体
化され、この地球に平和が実現するのです。こんなに大切な祈り言を、肉体知で捨ててはいけません。私
たちは五井先生の教えを守り、「世界平和の祈り」を守り、後世へと「世界平和の祈り」を継承してゆか
ねばなりません。そのためには、いかなる業波動にも恐れずくじけない、真の勇気が必要であるのです。
皆さんも「世界平和の祈り」を祈り、業波動に屈することなく、真の愛と勇気を発揮なさって下さい。

皆さんの天命が完うされますように


無理に話す必要はありません
No.848 森島恒吉    1999/08/07 (土) 21:49 富士宮市  
世界人類が平和でありますように

リトルミドルさん、はじめまして。どうぞよろしくお願いします。(^_^)
ためらいがある時には、どんなに良い「世界平和の祈り」であっても、宗教のお話であっても、ご友人や
知人に無理に話す必要はありません。押しつけがましくて、ずうずうしい人よりも、あなたのように、少
し照れ屋でシャイな人のほうが、私は好きですね。

「世界平和の祈り」を祈っておりますと、話すべき時には話し、言わざる時には言わず、というふうに神
のみ心のままに話せるようになり、相手の生命を生かせるようになってくるのです。必要な相手に、必要
なお話を、必要な時に、自然に話せるようになってくるのです。いずれはそうなるのですから、今は誰に
も言わずに、お一人で静かにお祈りをなさっていればよろしいのです。

ご友人に「世界平和の祈り」を知らせる、という方法もありますが、もう一つは「世界平和の祈り」をす
でに祈っている人たちを自分の友人にする、という方法もありますよ。お一人で祈りつづけるというのは
強固な信仰心が必要です。私たちの唯一会の集会にいらっしゃって、ご一緒に「世界平和の祈り」を祈り
ませんか。宗教観の一致した友人と、「世界平和の祈り」を共に祈るのは楽しいですよ。
また何かご質問がありましたら、ご遠慮なくお寄せ下さい。

あなたの天命が完うされますように


国旗国歌法案成立と世界平和の祈り
No.880 森島恒吉    1999/08/11 (水) 01:22 富士宮市  
世界人類が平和でありますように

8月9日(月)は、54回目の長崎原爆忌の日でしたが、この日の午後、「国旗・国歌法案」が国会で成立
しました。翌日8月10日(火)には、犯罪捜査に電話傍受などを認める通信傍受法案が可決され、これに
よって拳銃や麻薬の密輸組織のほか、テロ組織などの組織犯罪を摘発することが容易になり、犯罪を減ら
すのに大きな力となることでしょう。暴力団が、携帯電話で拳銃の受け渡しについての話をしていたとし
たら、警察は、その話を傍受し検挙できるのですから、悪いことができない時代になってきたわけです。
最近の国会の動きを注目しておりますと、日本国の指導霊たちが日本を守り、世界平和の中心国としての
日本を創ろうと、国会議員にさかんにインスピレーションを与え、導いているのがわかります。

国歌の君が代については、日本国が永遠につづくように、という意味の和歌に曲をつけたもので、式典で
もちょうどよい長さですし、重厚荘厳な音楽で、日本の国歌としてふさわしい曲だと思います。天皇制反
対論者や左翼の人々は、今も君が代に反対しているようですが、もし君が代が、国歌としてふさわしくな
い歌であれば、戦後から今日までの間に、代替曲がいくつも生まれてもおかしくはありません。もし、
「私は君が代よりももっと良い国歌を作った」と自信を持っている人がいたら、「こんな曲を作りました
が、国民の皆さん、いかがでしょうか」と国民に問えば良いのです。しかし、戦後から今に至る長い期間
を経てもなお、君が代以上の国歌にふさわしい歌が現れなかったのです。このことからも、ほとんどの日
本国民が支持している君が代は、日本の国歌としてふさわしい歌といってよいと思います。

国旗である日の丸は、日本の天命を単純に表現した素晴らしいデザインです。白地に太陽を象徴する赤い
日の丸は、単純でありながら、なんという明るさでしょう。日本は、むかし大和(やまと・だいわ)の国
とか日(ひ)の本(もと)の国ともいっておりまして、船による外国との貿易が始まった頃から、日本の
船に国旗として日の丸をつけたのが始まりだそうですが、このデザインも、日本を守護している神霊が、
その頃の日本の政治指導者に霊感を授けて作らせたデザインであるのです。日の丸は、日本から太陽が上
がるということで太陽を象徴しておりますけれども、日(ひ)とは、霊(ひ)のことでありまして、霊
(ひ)の本(もと)の国という意味をも表しているのです。日本は今や経済大国として名高い国ですが、
日本には地球人類の霊性を開いて平和にする、という重大な天命があるのです。いいかえますと、日本は
世界平和の中心国となる天命を持っておりまして、その天命が国旗にいみじくも表現されているのです。

しかしながら、天皇も国民の象徴としての天皇となり、天皇の一声によって国民が統一されるという時代
ではなくなりましたし、国歌や国旗だけで国民を統一させることも、現代の日本では、そう容易なことで
はありません。そこで五井先生は、日本人の心を「世界人類が平和でありますように」という合言葉によ
って、一つに結んだらどうだろうか、とご提案されたのです。日本国には、世界の人類の霊性を開発する
という国としての天命があるのです。それは日本人一人一人に、世界を平和にする天命がある、というこ
とです。その天命の具体的な行為が、「世界平和の祈り」であるのです。インド中国を経て仏教が日本に
入ってくると、日本において仏教の種が開花し定着し、現代の若者の多くが、クリスチャン式結婚式を望
み、クリスマスを祝うように、日本においては、日本古来の神道と仏教とキリスト教とが、争いなく調和
されています。それは日本国民の心が、大調和精神を内に秘めている証拠であるのです。

日本は世界平和の中心国であり、日本は世界平和のために率先して働かなくてはなりません。日本は、争
いの想いを持たず、大調和精神で、世界の国々の手を結んでゆく仲介の役割をしてゆかねばなりません。
そのためには、軍事力に代わる強大な力が必要です。その軍事力に代わる力が、相手の国を傷つけること
なくすべての国を生かす大光明力なのです。その光明力を持っているのが「世界平和の祈り」であるので
す。日本の国中の家々に、「世界人類が平和でありますように」のステッカーが貼られていて、日本のど
こへ行っても「世界人類が平和でありますように」のピースポールが立っていて、日本の新聞を読んでも
日本のテレビを見ても、「世界人類が平和でありますように」という祈り言があって、日本人と挨拶する
と、日本人すべてが「おはようございます、世界人類が平和でありますように」と挨拶している。そんな
ふうに日本国が「世界平和の祈り」の光明に包まれたら、どこの国も日本を攻めることはできなくなりま
す。そのようにして軍事力よりも、「世界平和の祈り」の大光明力のほうが強いことを、私たち日本が証
明して見せるのです。世界を真実に平和にする活動は、私たち日本人が率先してやらねばなりません。

その方法は、何も難しくありません。「世界平和の祈り」を日々祈り、縁のある人に「世界平和の祈り」
を広めてゆくだけでよいのです。世界を平和にするために、まず日本人の心を、「世界人類が平和であり
ますように」という合言葉で一つにしましょう。外国に向かって、「世界人類が平和でありますように」
と祈りつづけましょう。日本の天命は、「世界平和の祈り」によって発揮されてくるのです。

日本が平和でありますように
世界人類が平和でありますように


憲法九条は神さまから授けられた日本の天命
No.884 森島恒吉    1999/08/11 (水) 15:12 富士宮市  
世界人類が平和でありますように

憲法九条は、アメリカの都合の良いように押しつけられた、という見方をする人もありますが、表面上は
そのように見えながらも、実は神意で、神さまから日本に与えられたものであるのです。日本のタカ派と
言われる人々は、アメリカから押しつけられた憲法が、自分たち日本人が決めたものではない事実に、日
本人としての誇りを傷つけられる気がして、改めて日本人の手で憲法を作りなおしたい、と思っているわ
けですが、憲法九条は変えるべきではありません。

今では、アメリカ政府内部では、ひそかに「日本に平和憲法を与えたのは、アメリカにとって損だった」
と歯ぎしりしている議員も少なからずいるのです。日本に平和憲法を与えたばかりに、日本を守るのはア
メリカの軍隊で、「アメリカは日本の番犬だ」とののしられ、日本に軍隊がないばかりに、湾岸戦争のよ
うな時にも、日本に軍事的に助けてもらえず、血を流すのはアメリカ人で、日本人は血を流さずにすむ、
せめて日本からは金を出させよう、とこう思っているアメリカの議員もいるのです。

憲法九条は、アメリカから押しつけられたように見えても、アメリカ人の手を通しただけで、真実は神様
から授けられた憲法であるのですから、「これは神さまから授けていただいたのだ」と思えば、日本人と
しての誇りも傷つきません。どっちみち、日本人の大半は、「もう戦争はこりごり」と思っていますし、
若者たちは「軍隊なんかには入りたくない」と思っているのですから、憲法は変えられません。

「日本が米国債を買わされつづけている」のはその通りで、それにしてはアメリカは日本よりも威張った
態度をしていますね。しかし、日本がアメリカのために経済的に尽くしていれば、その積んだ徳は、いず
れは日本に還ってくることになります。今は、まだその徳が還ってこないから、日本が損をしているよう
に見えるのですけれど、いずれは日本は、対等以上の強い態度で、アメリカに発言できる時期がやってき
ます。その時初めて「日本に、米国債をあまりにも多く渡しすぎた。しまった!」とアメリカはくやしが
ることになります。そうした深慮遠謀を持った国会議員や官僚が、日本にいるわけですね。だから、日本
は、得するばかりで少しも損をしてはいないのですから、憲法も変える必要はないというわけです。

日本が平和でありますように
アメリカが平和でありますように
世界人類が平和でありますように


唯一会会員の心構えは?
No.886 森島恒吉    1999/08/12 (木) 01:21 富士宮市  
世界人類が平和でありますように

[子羊さんからのご質問]
唯一会会員としての、"心構え"等が、ございましたら、簡単で結構ですので御教示くださいますよう、
お願いいたします。また、掲示板等に、書き込みさせていただく時の、心構え等がありましたら、あわせ
て御教示くだされば幸いです。

[お答え]
この掲示板に書き込んでいただく際は、「世界人類が平和でありますように」の合言葉を、一言書いてい
ただくようにお願いしております。「世界人類が平和でありますように」を、世界人類の合言葉にしよう
というのが、私たちの目的の一つであるからです。「世界人類が平和でありますように」の合言葉を唱え
ることによって、人類の心は、いつしか自然に調和してゆくものと信じているのです。

唯一会の会員の心構えとか会員規則というのは、現在ありません。
「世界平和の祈り」を唯一の祈りとしている人だけが、唯一会の会員になっています。白光真宏会の会員
と同時に、唯一会会員にもなっている人が多いですが、白光真宏会の会員でない人もいます。お母さまが
白光真宏会の熱心な会員でありながら、娘さんのほうは、五井先生のみ教えをよく理解していて、唯一会
の会員として、私を信じてついてきてくれている、という人もいます。五井先生のみ教えは他力易行道で
すから、「世界平和の祈り」を祈っていさえすれば、守護の神霊のお導きにより、おのずと正しい心にな
り、真実の行為となってゆくことを、私は信じております。

皆さまの天命が完うされますように


外国の宗教書に惑わされないこと
No.888 森島恒吉    1999/08/12 (木) 13:31 富士宮市  
世界人類が平和でありますように

子羊さん、ありがとうございます。子羊さんが、そのように五井先生のお言葉を実際に書き出して下さる
と、私がいつも言っている教えの裏付けになりますし、皆さんの霊性開発の勉強にもなりますから、あり
がたいですね。白光真宏会の古い会員の人でも、案外、五井先生の本を読まない人が多いんですね。読ん
でも一回目を通しただけで、わかったつもりになっている。そして、五井先生のご本だけでは物足りなく
て、五井先生の教えよりもすぐれた教えがあるかもしれないと、外国の宗教書をさかんに読みあさって、
「心の法則」や「真理の言葉」に把われひっかかって、横道にそれてゆくのです。

ですから、五井先生のご本を、いつも自分のそばに置いて、いつも自分のバッグに持ち歩いて、くりかえ
しくりかえし読み返すことをしていないと、他の宗教者の思想に影響されて、五井先生の教えを忘れてし
まうことがあるのです。五井先生よりも、すぐれた教えは、もう二度と、この地球には現れないのです。
だけど、肉体の五井先生はいないし、本屋へ行くと、ベスラセラーとして他の宗教者の本がたくさん並べ
られていると、「五井先生の教えより、こちらのほうがすぐれているのかなあ」とふと惑わされるのです
ね。私くらいになると、もちろん少しも惑わないのですけれど、初心者のまだ浅い人は、迷ってしまう。

だから、五井先生の代わりに肉体を持った私が、常に「世界平和の祈り」を提唱していて、常に実践して
いることを知らせる必要があるわけですね。「世界平和の祈り」をしている私の存在を知って、ハッと本
心の我に戻り、「そうだ、私も五井先生の教え一筋でやってゆこう」と思って唯一会に入ってきてくれる
人が多くなったわけです。そして、「世界平和の祈り」に全託したとたん、今までにない、深い安心感に
包まれるようになった体験をしています。対外的には、「世界平和の祈りに何を付け加えても、それは結
構です」と話したほうがいいのです。そういえば、排他的になりませんからね。といって、五井先生が、
「世界平和の祈り」に何かつけ加えているかというと、何もつけ加えていないのです。だから五井先生も
建て前と本音を使い分けているんですね。言外のその本音を、私たちは、くみ取る必要があるのです。

子羊さんには、引きつづき、五井先生の教えを紹介していただきたい、と思います。お一人お一人が、そ
のように、ご自分の得意なやり方で、五井先生の教えを伝えて下されば、充実した"PEACE NIFON"にな
ることでしょう。この掲示板が、上品で美しい雰囲気を保っているのは、皆さまのおかげです。

皆さまの天命が完うされますように


守護神さまとの一体観を自覚する法
No.896 森島恒吉    1999/08/14 (土) 01:21 富士宮市  
世界人類が平和でありますように

リトル−ミドルさん、子羊さん、ありがとうございます。

[子羊さんのコメント](続・如是我聞NO122より)
「武とは鉾(ほこ)を止むると書くが、武とは邪悪の気をおさえ、消滅させる気の力である。みなさん方
もその力を持ってほしい。それにはどうしたらよいか。自分は守護神と一体である、守護神そのものであ
る、と自覚することである。」
(子羊記:うーんむずかしい。(心からの)自覚などできません。このお言葉は、きっと、心境の高い方
向けに、説かれたお言葉なのでしょうね。森島先生クラスになると、もちろん理解できるのでしょう
ね。)

[私のお答え]
守護神との一体観を深める簡単な方法を、教えてさしあげましょうね。(^_^)

「守護神さま、守護神さまと私が一体でありますように」
「守護神さま、ありがとうございます」

このように祈っておりますと、自然に守護神さまとの一体観を自覚できるようになるのです。

皆さまの天命が完うされますように