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【法話抄】 因縁因果を超えた世界
五井昌久 著
森島恒吉 編

◇人間は因縁因果の束縛から逃れることはできないのか?◇ 「宗教問答P95」

  「この世のすべては因縁因果の輪廻によって現れているので、因縁因果に支配されぬものはない、と宗教的にはいわれていますが、人間は因縁にがんじがらめに縛られているものでしょうか? この点をお答え下さい」


◇宗教とは、因縁因果を超えた神仏の世界に住むこと◇

  この世の幸不幸、様々な環境は、因縁因果によって現れていることには違いありません。因縁因果を現代的にいえは原因結果であるのですから、原因のない結果がないと同じように、因が縁にふれて果を生ずるのですから、この世はすべて因縁因果によって生じていることは間違いないのです。しかし、こうした因縁因果を超えた世界に住もうと思い、または人々をそうした世界に住まわせようと思って、古来から宗教家といわれた人々が、様々な修業をしてきているのであります。そして大聖といわれた人々は、因縁因果の世界に住みながら、同時にその因縁因果を超えた神仏の世界に居住していたのであります。
 ですから、この世の現れは因縁因果の波によってなされていながら、その人の生き方いかんによっては、その因縁因果の波を超越して生活することも出来るのであります。それがいわゆる宗教生活なのであって、因縁因果だけを問題にして、「あなたの因縁がこうだから、こういう結果が生じたのだ」「あなたがこのような心を持ったから、こんな運命になったのだ」「あなたの因縁が悪い」「あなたの心が悪い」というような説教は、真実の宗教者の嫌(い)むべきことなのであります。
 宗教とは、因縁因果の教えではなく、因縁因果を超えた、つまり原因結果を超えた神仏の教えなのであります.神仏の中には、この世でいう悪や不幸の波を持つ因縁因果などは無いのであって、悪や不幸や病気や貧乏は、すべて神仏の心を離れた無明、つまり迷いの中から生じたものなのであります。
 ですから、「この世は因縁因果の波動であって、人間はその因縁因果の束縛を逃れることは出来ない」と思っているのは、「真実の宗教を知らない」ということであり、「神仏と人間との真実の関係を知らない」ことから起こっているのであります。
 神は絶対なる智慧全能力者でありまして、神は原因結果を同時に持っているものであり、すべての権能であります。そして人間は、そうした全能者の分生命、分霊なのであって、その他の何者の子でもないのであります。そう考えますと、完全なる智慧者の、絶対なる愛の神から分かれた人間の世界に、悪や不幸が実在するわけがないのであります。
 ところが実際のこの世は、悪や不幸で充満していて、因縁因果の波に翻弄されて嘆き哀しんでいるのであります。これはどうした間違いからくるのか、といいますと、現在の地上人類が、神の完全性、人間の完全性を否定して、業想念の因縁因果の波を殆ど全肯定していることから起こるのです。
 そこで真の宗教観の確立が急がれることになるので、「人間は神の子であり、本来完全性であって、この世の因縁因果の波、悪や不幸や病気等々の悪想念は、過去の誤った想念行為の消えてゆく姿である」という真理の言葉を肯定し、その業想念を常に消し去ってくれている「守護の神霊への感謝行」を続けてゆくことが、唯一のなすべき事となってくるのであります。そうしてゆくうち、この世の因縁因果の波の底から、神仏の完全性、人間の本来因果たる汚れなき生命の力が、この世にはっきり真善美の姿を現してくるのであります。

図解




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