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    光明思想徹底比較2.(白光と生長の家)

                            −−「宗教問答 P109〜P111」

〔質問〕
 「病気も業も消えてゆく姿だと、知識ではわかるのですが、私自身も病人に対しても、すっきりと割り切れないのです。私は情に把われすぎているのでしょうか。どうすれば、平静な、そして温かな態度で病人に接することができるでしょうか?」

   
【光明思想普及者の一度は通らねばならぬ関門】

〔答〕
 この問題は、光明思想の普及者の一度は通らねばならぬ関門であります。生長の家などでは、「病気は無い、今すぐ立て」と言っていまして、「神の創り給うた完全な人間に病気などあるわけがない」と言い切っているのであります。
 これは真理であり理論としても頷けるのでありますが、実際問題としては、なかなか実行し難い教えであって、精神力の弱い人の喝にはなりますが、その半面、それをうのみにして、自分自身に行なうのならまだよいのですが、雇い人やお嫁さんなどにその教えの通りを実行させようとしている人がかなりあるのです。

   
【五井先生が病人を入院させる】

 先日も、私のところに来ている人の知人が、嫁の身で肺を患ったのであります。当人は体がだるく、呼吸も苦しいのですが、その姑さんが、生長の家の信仰に篤く、「病気は無い、今すぐ立て」を、お嫁さんに実行させるので、お嫁さんがいくらだるくとも、苦しくとも寝ることも出来ず、次第にやつれはててしまったのです。
 見るに見かねたその知人が、私のところに連れてきたのであります。私はそのお嫁さんの体を見てびっくりして、「これはいけない。こんな体で動いていたのでは参ってしまう。家では気兼ねで寝ることは出来ないだろうから、病院に入って、暫く安静にしなければいけない」とその人に口添えして貰って入院させたのであります。
 私はこのお嫁さん自身が、生長の家の教えを信じて、自発的に働いているのなら、そんな注意はしなかったのです。それは信仰の極度に強い場合は、真理がそのまま生きて、働いているままで病気の治ることも、時たまはあることだからです。それには実に深い信仰心のいることであって、それこそ不退転の大決意がなければ危ないことであるのです。
 ところがこのお嫁さんの場合は、ほとんどそうした信仰がなかったのですから、実に危険なことだったのです。そのお嫁さんは、病院での手当てによって今では大分快方に向かっているようであります。

    
【守護の神霊への感謝行にすべての想念を投入しなさい】

 私は生長の家式の「病気は無い」は凡夫には危験だと思って、――
 「あなたの病気は過去世から今生にかけての、悪想念行為の消えてゆくために現れている一つの症状なのだから、心をおびやかさず、ひたすら、『守護の神霊への感謝行』の方へ、不安の想いを投入させておきなさい。痛みが出ても、不安が出ても、懸命に『守護の神霊への感謝』に、自己の想念のすべてを投げ込みなさい。そのうちに、あなたの完全性である丈夫な体が、うちから現れて、やがて健康な体に立ちかえるのですよ」
 ――と説いて聞かせているのです。
 その間、薬を飲もうと、注射を打とうと、それには私は一切口をはさまぬことにしているのです。その人がこの世にまだ役目のある人ならば、守護の神霊は、必ずこの人の内部の力を引き出して、この人を癒し去ることを、私は知っているからです。注射や服薬が、ある時は病人の内部の癒す力の邪魔をすることもあるのですが、それさえも守護の神霊の癒しの力の前には間題ではなく、癒える時間が少し遅れるだけなのであります。

   
【看護する人が神霊に対して癒ゆることを願い感謝すればよい】

 ですから、病人を看護する時には、看護するその人が、真剣に病人の神霊に対して、その人の病気の速やかに癒ゆるることを願い、感謝を捧げてやればよいのです。
 上すべりしたような言葉で、「病気は無いのだ」とか「病気は業の消えてゆく姿なのだ」などと言って聞かせても効果はなく、かえって病人から「冷たい人だ」と思われるぐらいが落ちです。
 言葉というものは、何も声に出さなければならないものではないので、消えてゆく姿という真理の言葉を、看護しているあなた自身が、はっきり自分で認めていれば、そうしたあなたの信念が、相手の心に伝わって、病人の生命力に力を与えてゆくのです。

  
【温かく心からの同情心をもって誠心誠意尽くしてあげる】

 間違った宗教者のように、「それは業だ」と冷たい言葉を病人にあびせたり、「病気は無いのだ、無い病気に悩む者はおかしい」などと、出来そうもないことを言ったりすることは、私の感心していないことです。
 私は病人に対しては、普通の場合は、やはり温かく、心からの同情心をもって接してやり、生じっかな説教めいた口はきかぬほうがよいと思っているのです。その人が一体癒える病人か死ねる病人かは、霊覚者以外にはわからぬので、誠心誠意を尽くしてあげることが大事であると思います。
(完)

(1992年10月26日  森島恒吉 編集)




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